吃音がある有名人・芸能人【総勢141名を収録】
公開日 : 2015年5月20日 / 更新日 : 2022年3月20日
芸能人からミュージシャン、スポーツ選手、政治家、実業家、歴史上の人物など、全ての分野で吃音者達は活躍しています
吃音を抱える人にとっては、すごく心強いことですよね。
『吃音は天才病』 なんてことも言われたりするのですが、この驚愕の顔ぶれを見てしまうと、強ち間違いではないと思えてきます。
吃音が天才病などと言われる由縁には、吃音者に共通して存在する『感受性の高さ』 が挙げられます。
この感受性が
なぜ吃音を生むのか。
なぜ天才を生み出すのか。
その答えは、M.R.M に記録されています。
あなたの気になるジャンルには、いったいどんな有名人がいるでしょう?
偉業を成した有名人から元気を貰いにいきましょう。
えっ!?
自宅でできる吃音の克服法!?
今の時代、インターネットを使えば悩みの99%は解決できる と言われています。僕にもできました、次はあなたの番です。
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吃音がある有名人リスト
まだまだ吃音がある有名人は存在します。
その驚愕の顔ぶれを一挙にご紹介します。
※ 名前をクリックすると紹介文にジャンプします。
吃音関連【国内:6人】
吃音関連【海外:4人】
スポーツ選手【国内:2人】
スポーツ選手【海外:5人】
芸能界【国内:11人】
芸能界【海外:16人】
映画・アニメ制作【国内:3人】
映画製作【海外:1人】
ミュージシャン【国内:3人】
ミュージシャン【海外:13人】
アナウンサー【国内:3人】
政治家【国内:3人】
政治家【海外:5人】
小説家、作家【国内:12人】
小説家、作家【海外:4人】
学者【国内:2人】
学者【海外:5人】
実業家【国内:3人】
実業家【海外:4人】
歴史上の人物【国内:7人】
歴史上の人物【海外:10人】
その他【13人】
病院がない!!
吃音の治療を受けたいけど、近くに対応している病院が見つからない。
インターネットを使えば、
有名な専門家から最高峰の治療 が受けられます。
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吃音がある有名人の紹介
吃音関係者
当記事では自身にも吃音があり、吃音治療の専門家として様々なメディアで取り上げられている有名人をご紹介していきます。
これだけ科学が進歩しているのにもかかわらず、未だ吃音の原因は解明されていません。
故に、確立された治療法もないというのが吃音診療の現状です。
日本よりも歴史の長いアメリカの言語聴覚士達が、もっとも苦手とする分野が吃音であるといいます。
そんな正解のない吃音という分野においても、熱心に取り組まれている専門家達が存在している ことをご存知でしょうか?
熱心に取り組まれている理由は至ってシンプル。
それは専門家自身も当事者 だからです。
そんな僕ら吃音者の希望である専門家の活躍や成果に触れてみて下さい。
中にはあなたを絶望の淵から救い出してくれる専門家が現れるかもしれません。
僕にはそんな救世主が現れました。
菊池良和
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職業
医者
所属
九州大学病院
吃音の診療といえば『吃音ドクター』こと菊池良和さんの名前がまず挙がります。
幼少期からの吃音の苦悩と、医者となって吃音外来を受け持つまでのエッセイ『僕は吃音ドクターです。』を発売以降、公演なども積極的に行なっていて啓発活動にも力を入れています。
普段の吃音外来の様子を書籍化した『吃音ドクターが教える人と話すのが楽しくなる本』では、菊池医師の優しさ溢れる診療の様子が描かれています。
「どもっていてもいいんだよ」という言葉をよく使い、どもっている自分を肯定 するようにと呼びかけています。
ただ吃音治療をするだけではなく、吃音と上手く付き合っていくことさえも教えてくれる菊池先生。
医師としても、同じ当事者としても心強い味方となってくれる 方です。
菊池先生の書籍をレビューしています
プロフィール
1978年山口県生まれ
鹿児島ラ・サール高校 卒業
九州大学医学部 卒
九州大学大学院医 博士号
九州大学病院耳鼻咽喉・頭頸部外科助教
坂田善政
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職業
言語聴覚士
所属
国立障害者リハビリテーションセンター
2006年から2012年まで、吃音者が集うセルフヘルプグループ(NPO法人全国言友会連絡協議会)の理事を務めていました。
自身の書籍を出版している他、他の人が書いた書籍にゲストで登場することもあります。
小林宏明
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職業
教授
所属
金沢大学
所属する金沢大学の研究室では吃音に関する様々な研究が行われ、その実績が評価されています。
2004年から2010年までは石川県言語聴覚士会の副会長を務め、2013年から2018年まで日本吃音・流暢性障害学会の理事(事務局長)に就任しています。
まさに日本の吃音に関する学術的な分野において、牽引し続けている方です。
また同研究室では吃音のある中高生を対象とした『吃音のある中高生のつどい』が定期的に開催されており、同じ悩みを持つ者同士が出会える場としても使われています。
小林先生のサイト『吃音ポータルサイト』では、これまでの吃音研究の中で得られた情報によって裏付けされた内容となっていますので、参考になると思います。
吃音に関する情報が欲しいという方は、チェックしてみて下さい。
吃音ポータルサイト
プロフィール
1971年生まれ
1994年筑波大学 卒業
1999年筑波大学大学院 卒業
1999年筑波大学心身障害学系 準研究員
2002年金沢大学教育学部 助教授
現在は金沢大学 教授
都筑澄夫
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職業
言語聴覚士
所属
都筑吃音相談室
数ある吃音に関する書籍の中で、ダントツでおすすめしたいのが都筑先生が著者の『吃音は治せる』です。
需要と供給のバランスを崩してしまい、プレミア価格 が付いているほどの書籍です。
都筑先生は10年に渡って目白大学にて研究を重ね、様々な臨床を重ねることで圧倒的な有効率74%を誇る『年表方式メンタルリハーサル法』を開発しました。
大学の『教授』というジレンマ(診療できる患者に制限がある)というリミッターを外し、自らが代表を務める『都筑吃音相談室』を創設しました。
より多くの当事者を救うべく、動き出しています。
愛知県近郊に住む吃音者は、問答無用で都筑先生を頼るべきです。
都筑先生の書籍について
都筑先生の病院について
プロフィール
1971年獨協大学外国語学部 卒業
1977年静岡赤十字病院 入職
1985年日本聴能言語学院 専任教員
2004年九州保健福祉大学 教授
2006年目白大学 教授
2016年都筑吃音相談室 代表
中村しょう
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職業
吃音改善請負人
教材
吃音改善プログラム『M.R.M』
吃音改善プログラム『M.R.M』の開発者です。
また僕を救ってくれた専門家でもあります。
僕は20年以上もの間、吃音によって苦しんできた一人です。
自分の名前が言えない
「ありがとう」が言えない
話す場面から逃げる
劣等感に押し潰されそうになりながら、日々を過ごしてきました。
そんな僕も今では吃音を克服し、こうして吃音に関するサイトを立ち上げて啓発活動を行う までになっています。
昔だったら、吃音について考えることさえも嫌で堪らなかったです。
僕を救ってくれた専門家は、やっぱり吃音で悩み苦しんできた当事者 でした。
今では多くの教材がインターネットで販売されるようになりましたが、その中でも圧倒的に支持されているのが『M.R.M』です。
一昔前まではインターネットで販売されている教材は『怪しい』ものとして見られていましたが、今では実際の医療現場では見られる患者さんの数に限界があるとの理由から、吃音治療で有名な先生の教材なども売られています。
そんな激戦区の中で、僕がM.R.Mと出会ってから今まで10年近くになりますが、ずっと人気が改善プログラムなんです。
中村さんに出会えたことは、一生の宝だと思っています。
M.R.M の公式サイト
M.R.M のレビュー
井坂京子
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職業
吃音改善プログラムコーチ
教材
井坂式吃音改善プログラム
インターネットで販売されている教材の中で『低価格』であり『実績』のある改善プログラム だと人気があります。
元々、高校教師をやっていたこともあり『教えるプロ』 だからこその実績だと思います。
井坂さんも幼少期から吃音による悩みを持っていました。
病院を初め、吃音矯正所や市販されている教材などを試したものの成果は現れなかったといいます。
吃音で苦しんできたからこそ、同じ境遇で苦しむ吃音者を助けたい。
これまでの吃音治療に関するイメージとは真逆の『低価格』『自宅で簡単に取り組める』ことができる改善プログラムを確立しました。
宮崎一哉
『30日間どもり解消プログラム』を開発し、インターネットで販売されている教材の中では高い人気を誇っています。
自身が成せたどもり解消の手法が、他の人にも効果があるのではないかとプログラムを開発しました。
これまで400名近い吃音者を救うに成功しています。
実践者の86.7%に効果ありとのデータもあります。
梅津円
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引用元: VR利用で吃音症を改善するアプリ「Domolens」が描く未来
プロフィール
TSG2017ファイナリスト
NPO法人どーもわーく運営
吃音VRプロジェクトリーダー
若いパワーのある世代が本気で動き出し、吃音の世界にも変化が訪れようとしています。
吃音の自助グループ(セルフヘルプグループ)でも”若者限定”の団体『うぃーすた』が全国的な広がりを見せていたり、吃音というハンデを武器にして叫ぶラッパーの達磨さんなど若い世代の活躍が目立っています。
梅津さんもビジネスコンテスト『TSG2017』にてファイナリストとして選出された他、多方面で活躍をしている一人です。
「世界初の吃音症改善プログラムをVRで実現し、吃音の歴史に変革を起こす」
と語り、その表情からは頼もしさまで感じられます。
海外ではVRによる精神・発達障害の研究が進められており、症状の改善がみられたとのデータが公開されていたり、メンタルヘルスにVRを活用する企業も数多く存在します。
梅津さんは、吃音でもこの技術が応用できるのではないかと考えています。
「障害で自分の可能性を諦めなくていい社会を実現したい」
そんな世の中は、すぐそこまできているのかもしれません。
伊藤伸ニ
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所属
伊藤伸二ことばの相談室主宰
日本吃音臨床研究会会長
大阪スタタリングプロジェクト主宰
国際吃音連盟の顧問理事
プロフィール
1965年に自助グループである言友会(日本最大規模)を設立
1986年に第1回吃音問題研究国際大会を大会会長として開催
今では会員数が約800名にものぼり、日本最大級の自助グループ『言友会』を設立した立役者です。
言友会と言えば『吃音者宣言』が有名ですが、これも伊藤さんが主宰となって作成されたものになります。
日本の吃音業界を常に最前線で牽引し、これまでの功績は計り知れません。
最も印象に残っている功績を挙げるとすれば、各国の吃音研究者が一堂に集まる吃音問題研究国際大会の大会長として第一回目を開催したことです。
吃音研究で最先端のアメリカやドイツに先駆けて日本で開催できたことは、同じ日本の吃音者として誇りに思います。
伊澤末五郎
日本の吃音治療の歴史は、1903年に伊澤修二が『楽石社』を創立したことに始まります。
明治時代、伊澤修二といえば日本の教育者としてその名を広めています。
大学南校(のちの東京大学)やハーバード大学への進学を経て、教科書の編纂などに務めました。
伊澤さんが楽石社を創立した背景には、弟の伊澤末五郎が吃音の当事者であったと言われています。
独自の研究と手法を使った矯正法は、ただちに全国に知れ渡り、多くの当事者が訪れるようになったと言われています。
ウェンデル・ジョンソン
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職業
臨床家
ウェンデル・ジョンソンといえば『診断起因説』が有名な話で、「吃音は子どもの口から始まるのではなく、親の耳から始まる」といった内容です。
この診断起因説が世界中を巻き込む『吃音の悪しき風習』を作り上げてしまいました。
吃音に関する話しはタブーとされ、腫れ物に触るかのような扱いを吃音者達は強いられてしまいます。
こんな黒歴史があるために、ウェンデル・ジョンソンは悪者扱いされることがあるものの、吃音研究としては世界をリードしてきた第一人者です。
様々な研究を重ね、得られたデータは今でも活用されています。
バリー・ギター
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職業
言語聴覚士
バリー・ギターの代表作には『吃音の基礎と臨床―統合的アプローチ』があります。
上記でもご紹介しました吃音ドクターこと菊池先生も当書籍はとても参考になったと自身著書の中で語っています。
僕も購読してみましたが、読み終わるのに1ヶ月近くかかったと思います。
『吃音の基礎と臨床―統合的アプローチ』では、過去の吃音研究に関する情報がまとめられています。
よく「吃音の原因は解明されていない」と言われていますが、当書籍を見てみると異なる心境を抱くようになりました。
これまでの吃音研究において、吃音の原因となるいくつかの要因は既に解明されていたのです。
書籍のレビュー
マルコム・フレーザ
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引用元: ゆっくり話すとは?①
アメリカの吃音協会創立者です。
『ことばの自己療法』での12の原則は、非常に感銘を受ける言葉が綴られていますので、下記に紹介しておきます。
どもるときも、どもらないときも、いつもゆっくり慎重に話す習慣をつけなさい。
どもったときは、無理言おうとせずに、楽に穏やかにどもりなさい。
公然とどもり、自分が吃音者であることを隠さないようにしなさい。
随伴症状(異常な仕草・顔の歪み・体の動き)を認識し、それを除くようにしなさい。
すべての回避・助走・言い換えの習慣を辞めるよう最善を尽くしなさい。
話し相手と目を合わせなさい。
どもるとき、発話筋がどのような不適切な動きをしているか分析し、確認しなさい。
どもったときの異常な動きを修正し、それを除去するために、ブロック矯正法を利用しなさい。ただし前7項ができてから。
話している間、絶えず言葉が先に進むように心がけなさい。初めのことばにこだわらない。
不自然な発音ではなく、しっかりとした声で抑揚とメロディーをつけて話しさない。
自分のもっている流暢な話し方の部分に、もっと注意を向けなさい。
この基本原則にしたがって矯正している間、できるだけたくさん話しなさい。
この中でも、
「3.公然とどもり、自分が吃音者であることを隠さないようにしなさい」
僕はこの教えを大事にしています。
吃音者の心理としては『隠したい』思いが先行してしまいがちですが、隠す選択をした瞬間から吃音に縛られる人生になってしまうと思うからです。
公然とどもり、回避や言換えを止めてみると、何にでも挑戦してみたくなるものです。
キャサリン・プレストン
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『吃音を生きる』の著者であり、作家兼講演者です。
当著書は重度の吃音によって苦しんだイギリス人女性による自叙伝です。
米国サイモン&シュスター社が制作した宣伝動画も公開されています。
英語なので何を語っているのか、僕には分かりませんでしたが、キャサリンさんの話し方(どもりも含めて)はすごく素敵だと思いました。
スポーツ選手
『子どもの将来の夢』に必ず挙げられるスポーツ選手。
ここでも名実共に申し分ない選手ばかりが名を連ねています。
吃音のある子どもに「キミの夢であるサッカー選手にも、吃音があるトッププレイヤーがいるんだよ。あのレアルマドリードのハメスにも吃音があるんだよ。」と言ってあげれば、吃音の見方が変わるかもしれません。
是非とも参考にして下さい。
清水宏保
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職業
スピードスケート選手(タレント)
出身
北海道
生年月日
1974年2月27日
長野オリンピックで金メダルを1個、銅メダルを1個、ソルトシティオリンピックで銀メダルを1個獲得しています。
幼児期から吃音や喘息の症状があり、身長が低いことや田舎者であることにコンプレックスを抱えていたと言います。
自分の弱点に負けず、人一倍の努力により成功を収めたスポーツ選手です。
1993年の世界デビュー後、10年以上に渡って世界のアイススケートを牽引しています。
主な活躍
1993年:世界デビュー(世界スプリントで3位)
1996年:世界選手権で優勝
1998年:長野オリンピックで金メダル、世界選手権で優勝
1999年:世界選手権で優勝
2000年:世界選手権で優勝
2001年:世界選手権で優勝
2002年:ソルトシティオリンピックで銀メダル
2003年:世界選手権で準優勝
2005年:世界選手権で準優勝
内藤大助
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職業
プロボクサー(タレント)
出身
北海道
生年月日
1974年8月30日
イジメを受けた経験があり「ボンビー」というあだ名で呼ばれ、辛い中学生活を送っています。
時には暴行を受けることもあったそうですが、親や教師には言えず1人で耐え抜く日々が続きました。
ボクシングを始めたキッカケは、いじめっ子に再会した時に、びびらせることが出来るかもしないという思いがあったといいます。吃音やイジメによる逆境をバネに、成功を収めた一人です。
主な活躍
1996年:プロデビュー(1R KO勝ち)
1998年:全日本フライ級新人王決定戦で1R KO勝ち
2002年:界フライ級タイトルマッチで1R(34秒)でKO負け(同タイトルで史上最短KO記録)
2004年:日本フライ級タイトルマッチで6R負傷判定により勝利
2005年:WBC世界フライ級タイトルマッチで7R負傷判定により敗北
2006年:日本・OPBF東洋太平洋フライ級王座統一戦で6R TKO勝利
2007年7月:WBC世界フライ級タイトルマッチで12R判定により勝利
2007年10月:WBC1回目の防衛戦に亀田大毅と対戦し、12R判定により勝利
2009年:WBC6回目の防衛戦に亀田興毅と対戦し、12R判定により敗北(WBC王座陥落)
2011年:現役引退
タイガー・ウッズ
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本名
エルドリック・タイガー・ウッズ
国籍
アメリカ
職業
プロゴルファー
生年月日
1975年12月30日
世界ランク1位を獲得したことのあるプロゴルファーです。
メジャー選手権の優勝は14回、史上2人目になるトリプルグランドスラムを達成し、生涯獲得賞金額は1億ドルを超え歴代1位のスーパープレイヤーです。
1996年にプロ転向してから現在に至るまで、ゴルフ界を牽引してきた人物です。
吃音に悩む少年が自殺を図っていた時に、タイガー・ウッズは少年に手紙を送りました。
「僕も子どものころは吃音で、犬が眠りに落ちるまで話しかけたものだ。」
これにより少年は自殺という考えを改めたというエピソードがゴルフダイジェスト誌に掲載されたことがあります。
主な活躍
1996年:プロ転向
1997年:マスターズで優勝
1999年:PGA選手権で優勝
2000年:全米オープン、全英オープン、PGA選手権で優勝
2001年:マスターズで優勝
2002年:マスターズ、全米オープンで優勝
2005年:マスターズ、全英オープンで優勝
2006年:全英オープン、PGA選手権で優勝
2007年:PGA選手権で優勝
2008年:全米オープンで優勝
ハメス・ロドリゲス
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本名
ハメス・ダビド・ロドリゲス・ルビオ
国籍
コロンビア
職業
サッカー選手
生年月日
1991年7月12日
ハメス・ダビド・ロドリゲス・ルビオはコロンビアのプロサッカー選手です。
とても恥ずかしがり屋で吃音の影響もあり、話すのはわずかな言葉だけで、声を聞いたこともないチームメイトもいるほどです。
そんな『ハメス』ですが、今やファーストネームだけで世界中に通じ、スター揃いのレアル・マドリードにも所属した名実共にサッカー界の大物です。
主な活躍
2006年:エンビガド(当時コロンビアの2部リーグ)に所属しプロデビュー
2007年:コロンビアのU-17に代表入り
2008年:バンビフィエルド(アルゼンチン)に所属
2009年:トップチームでのデビューを果たし、アルゼンチンのサッカー史上最年少記録となるゴールを17歳で決める
2010年:ポルト(ヨーロッパリーグ)に所属し、リーグ優勝に貢献
2011年:コロンビア選手としては初の最優秀若手選手(ポルトガルプロサッカーリーグが選手)に獲得
2013年:リーグ・アン史上、最も高額な移籍額の4500万ユーロでASモナコに所属
2014年:8000万ユーロ(非公開)でレアル・マドリードに移籍。この年、FIFAワールドカップ予選のA代表入りを果たす。
2017年:バイエルン・ミュンヘンに移籍
ジョージ・スプリンガー
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本名
ジョージ・チェルストン・スプリンガー・三世
国籍
アメリカ
職業
野球選手
生年月日
1989年9月19日
アメリカのプロ野球選手です。
MLB・ヒューストン・アストロズに所属している外野手です。
吃音があり幼少期にはイジメを受けた経験がありますが、今では気にしていないといいます。
自分がどもっている姿を見て、吃音によって悩んでいる人達に勇気を持って欲しいと言及しています。
2017年にはワールドシリーズで最優秀選手に選出され、『吃音でイジメられた少年がWシリーズ5発でMVPに』という見出しで、東スポの記事に掲載されました。
主な活躍
2011年:ドラフト1巡目でヒューストン・アストロズに入団以降、2013年までアストズ傘下のチームで結果を残す
2014年:アストロズとメジャー契約を結び、この年ルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞
2017年:シリーズ制覇に貢献し、シリーズMVPに選出
ボブ・ラブ
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本名
ロバート・ラブ
国籍
アメリカ
職業
バスケットボール選手
生年月日
1942年1月28日
NBAで活躍したバスケットボール選手です。
所属していたシカゴ・ブルズの背番号10は、ラブさんの永久欠番となっています。
引退後、背中の故障によって「二度と歩けなくなるかもしない」と申告されたボブに、妻は「吃音もあって、さらには身体障害者なんてやっていけない」と告げられ離婚。
その後も吃音により7年間もの間、定職に就くことは出来ず、時給500円の仕事で食繋ぐという過去があります。
45歳の時に、言語療法士を紹介され治療に励んだことで、吃音を克服しました。
今では全米でも5本の指に入るほど、スピーチが上手いと賞賛されています。
主な活躍
1965年:NBAドラフトの4巡目と低い評価でシンシナティ・ロイヤルズに入団したものの、新人王を獲得
1969年:シカゴ・ブルズに移籍
1970年:オールスターとオールNBA2ndチームに選出
1971年:オールNBA2ndチームとオールディフェンシブ2ndチームに選出
1974年:ブルズの地区優勝にエースとして貢献
ロン・ハーパー
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吃音のあるバスケットボール選手です
本名
ロナルド・ハーパー
国籍
アメリカ
職業
バスケットボール選手
生年月日
1964年1月20日
アメリカのバスケットボール選手です。
NBAを5度制したことのあるトッププレイヤーですが、幼少期から吃音に悩んでおり、家族以外とは話さなかったそうです。
高校時代においても挨拶程度しか話さず、スター選手となった時も黙々とプレーをするのが印象的です。
幼い頃に受けた『吃音をからかわれる』経験は、非常に大きな爪痕を残したようです。
ハンデをものともしない実力行使で、成功を収めている吃音者は、ハーパーさんを始め多く存在します。
主な活躍
1987年:ドラフト1巡目でNBAデビュー
1996年:NBA優勝(シカゴ・ブルズ)
1997年:NBA二連覇(シカゴ・ブルズ)
1998年:NBA三連覇(シカゴ・ブルズ)
2000年:NBA優勝(レイカーズ)
2001年:NBA二連覇(レイカーズ)
芸能人
誰でも一度は憧れる職業である芸能人。
普段はテレビやお客さんの前に出て堂々と話している芸能人の方でも、「実は吃音があった」とか「実はまだ悩んでいる」なんてエピソードが結構あります。多くの芸能人達は吃音を克服しているけれど、共通して言えることは『逆境をプラス』に変える力があったと僕は思います。
吃音で悩んでいる人は、これからご紹介する芸能人の生き方を参考にしてみて下さい。
秋野暢子
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出身
大阪府
職業
タレント
所属
しまだプロダクション
生年月日
1957年1月18日
学生時代には、出席をとるときの「はい」が言えないほどの吃音に加え、赤面症もあったといいます。
『いじめられっ子』だったと、取材に答えています。
女優を目指すきっかけとなったのは、小学5年生でやった学芸会での劇でした。
『鉛筆の国』でFの役になった秋野さんには、「Fざんす」という一言のセリフがありました。
何万回と練習し迎えたリハーサル、セリフは出てこなかったといいます。
当日には吐気や下痢、熱まで出ていたにも関わらず、『今、行かなかったら人生変わらない』と自分を奮い立たと話します。
舞台では足の震えが止まらなかったが、自分の番が来た時、何者かに背中を押されたように「Fざんす」が言えたようです。
僕は吃音の恐怖によって逃げてしまうことがあります。
でも、そんな時って後々後悔するんですよね。
秋野さんの様に自分を奮い立たせることが出来れば、もっと早く吃音を克服できたかもしれないと思います。
主な活躍
1974年:『おおさか・三月・三年』にウエイトレス役でデビュー
1975年:テレビドラマの『おはようさん』でヒロインを務める
1976年:テレビドラマの『赤い運命』に出演
1983年:テレビドラマの『スチュワーデス物語』に出演
1984年:映画『片翼だけの天使』にてヒロインを務め主演女優賞(キネマ旬報ベスト・テン)を受賞
2001年:映画『ハッシュ!』に出演
木の実ナナ
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本名
池田 鞠子(いけだ まりこ)
出身
東京都
職業
女優、歌手
所属
ダンカンミュージック
生年月日
1946年7月11日
東京都出身のダンカンミュージックに所属の女優・歌手です。
木の実ナナさんが著者の『笑顔で乗り切る』では、デビューから40年という節目で出版され、吃音による苦悩があったことを告白しています。
ヒロイン役で出演した『男はつらいよ』シリーズでの撮影が終盤にさしかかった時のこと、「お兄ちゃん」という言葉が出てこないことで、2日間撮影がストップしたそうです。
山田洋次監督は、辛抱強くまってくれ「いいんだよ。フィルムなんていっぱいあるからね。」と答えをかけてくれたそうです。
吃音者にとって周りの環境というのは非常に大事で、特に力を持っている人が味方でいてくれることは本当に心強いことです。
学校や習い事の先生においても、上記の様な対応ができることを願っています。
主な活躍
1962年:『東京キカンボ娘』で歌手デビューを果たす
1966年:映画『汚れた英雄』に出演
1970年:アメリカに本番のショー・ビジネスを学びに渡米
1973年:劇団四季のミュージカル『アプローズ』に出演
1974年:大ヒットとなるミュージカル『ショーガール』が開演
1975年:『ショーガール』で芸術選奨新人賞を受賞
1976年:『ショーガール』で紀伊國屋演劇賞を受賞
1984年:テレビドラマ『オレゴンからの愛』に出演
1986年:テレビドラマ『あぶない刑事』に出演
1989年:映画『もっともあぶない刑事』に出演
1990年:テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』に出演
1998年:テレビドラマ『万引きGメン・二階堂雪』に出演
釈由美子
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出身
東京都
職業
女優、タレント、実業家
所属
トミーズアーティストカンパニー
生年月日
1978年6月12日
東京都出身の女優、タレント、グラビアアイドル、実業家と幅広く活躍しています。
昔のバラエティー番組を見てみると、僅かに吃っている様子が分かるようです。
ただ軽度の吃音だったこともあり、今では克服しています。
主な活躍
1997年:ヤングマガジンにてMissキャンパスグランプリとして紹介される
2001年:映画『修羅雪姫』にて主演に抜擢
2002年:映画『ゴジラ×メカゴジラ』に出演に抜擢
2003年:テレビドラマ『スカイハイ』に出演
2006年:テレビドラマ『7人の女弁護士』にて主演に抜擢
2007年:テレビドラマ『秘密の花園』にて主演に抜擢
2015年:レストランを経営する実業家と結婚
南明奈
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本名
濱口明奈
出身
神奈川県
職業
タレント
所属
フリースタイルカンパニー
生年月日
1989年5月15日
神奈川県出身のフリースタイルカンパニー所属のグラビアアイドル、タレントです。
幼児期に吃音で悩んでいたようですが、今では克服しています。
幼児期の吃音は全体の5%にみられますが、その内80%は自然回復します。
典型的な成長過程での吃音だったといえます。
しかし、プロフィールをみてみると吃音者に共通して見られる特徴も有り、吃音の資質は持っているんだなと感じます。
お化け屋敷が苦手。絶叫マシンは、かつてはスプラッシュ・マウンテンにも乗れないほどだったが、仕事で度々乗っているうちに好きになった。
引用元: Wikipedia より
また、極度の負けず嫌いで勝利への執着心が強く、テレビ番組の企画で行われるゲームやスポーツに挑戦する際には常に真剣勝負で挑んでおり、その結果好成績を残すことも多い。
引用元: Wikipedia より
上記の引用により感受性が強いことや、吃音がある成功者に見られる傾向です。
主な活躍
2001年:当時小学6年生でスカウトされる
2004年:芸能界デビュー
2006年:写真集を出版、めざましテレビに出演
2008年:グラフ賞(ゴールデン・アロー賞)を受賞、『笑っていいとも!』のレギュラーに抜擢(平成生まれでは初)
2009年:ZAKZAKの「第2回日本グラビアアイドル大賞」を受賞
2015年:『台湾ネイル親善大使』に選ばれる
2代目 三遊亭 圓歌
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本名
田中 利助
出身
新潟県
職業
落語家
生年月日
1890年4月28日
新潟県出身の落語家です。
新潟地方のなまりと吃音があったが、努力のすえに克服しています。
普段の会話の中では吃音が出ることもあたっと言われていますが、高座に上がると口巧者な名人へと様変わりします。
高座で不意に吃音が出てしまった時には、扇子が痛むほど床で調子をとっていました。
主な活躍
1914年:『三遊亭歌寿美』を襲名
1917年:『三遊亭歌奴』を襲名
1934年:『2代目三遊亭円歌』を襲名
1963年:落語協会の副会長を務める
3代目 三遊亭 圓歌
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本名
小林 信夫
出身
東京都
職業
落語家
生年月日
1932年1月10日
東京都出身の落語家です。
自身に吃音があり、作品の登場人物の中にも吃音者がでてくることもあります。
近所に住んでいた幼馴染(アナウンサーの小川宏)の真似をしていたら、自分もなってしまったと、吃音発症の経緯を語っています。
主な活躍
1945年:『三遊亭歌治』を襲名
1948年:『2代目三遊亭歌奴』に襲名
1970年:『3代目三遊亭圓歌』に襲名
1987年:落語協会の副会長に就任
1996年:落語協会の会長に就任
2002年:『勲四等旭日小綬章』を受賞
2006年:落語協会の最高顧問に就任
桂ざこば
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本名
関口 弘(せきぐち ひろむ)
出身
大阪府
職業
落語家
生年月日
1947年9月21日
大阪府出身の落語家です。
落語界を牽引している桂ざこばさんですが、吃音者特有の感受性が強いエピソードがありましたので、下記に引用します。
好きな人物への思いやりが強く、2004年の自身の弟子である桂喜丸の告別式やお別れの会などでの泣き様は尋常ではなかった。2016年1月に死去した桂春團治の「お別れの会」でも泣き崩れる姿が報じられている。一時確執のあったやしきたかじんについても同様であった。
引用元: Wikipedia より
落語界に入ったのは、吃音を克服することが目的ではなく、3代目桂米明の芸に一目惚れしたからだと語られています。
言葉を扱う落語という業界で、言葉にハンデがある吃音者が成功する。
これは多くの吃音者に夢を与えます。
僕も吃音によって多くの事を諦めてきましたが、夢を諦める必要はないと言われている気がします。
主な活躍
1963年:3代目桂米明に入門
1966年:独演会『朝丸自身の会』を開催
1985年:『上方お笑い大賞』にて金賞を受賞
1988年:3代目『桂ござば』に襲名
1992年:『上方お笑い大賞』にて大賞を受賞
2017年:『芸術選奨文部科学大臣賞』を受賞
桂文福
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本名
田中登
出身
和歌山県
職業
落語家
生年月日
1953年3月31日
和歌山県出身の落語家です。
師匠である桂文枝からは「吃音をそのまま出した新しい落語を作れ」というアドバイスを受けています。
吃音を隠さず、吃音から逃げれことなく、努力をしたことで吃音を克服しています。
上記でご紹介したアメリカの吃音協会創設者であるマルコム・フレーザさんの『12の原則』においても、『公然とどもること』と記されています。
吃音は恥ずかしいことでも何でもありません。
『公然とどもる』ことを信じた桂文福さんの様に、僕らも胸を張ってどもりましょう。
主な活躍
1972年:桂文枝に入門
1981年:第2回ABC落語漫才新人コンクールにて『審査員奨励賞』を受賞
1983年:第11回日本放送演芸大賞にてホープ賞を受賞
1984年:第12回日本放送演芸大賞にてホープ賞、朝日放送バイプレイヤー賞を受賞
1933年:和歌山県文化奨励賞を受賞
1996年:和歌山県桃山町民特別功労賞を受賞
2001年:和歌山県桃山町 第1回ふるさと文化賞を受賞
丹波哲郎
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本名
丹波 正三郎
出身
東京都
職業
俳優
生年月日
1922年7月17日
東京都出身の俳優です。
俳優の他にも芸能プロモーターや心霊研究家としても知られています。
大学在学中に学徒兵として陸軍航空隊に入隊しています。
当時、吃音の症状が酷かったこともあり、最前線に送り込まれることなく、整備士官として仕事を従事しました。
吃音の症状は終戦後に、突然治ったと言われており、戦争の壮絶さを物語っています。
主な活躍
1951年:新東宝に入社
1952年:映画デビュー
1967年:世界的大ヒットした『007は二度死ぬ』に出演
1973年:映画『人間革命』にて男優演技賞(毎日映画コンクール)を受賞
1980年:映画『二百三高地』にて最優秀助演男優賞(日本アカデミー賞)、助演男優賞(ブルーリボン賞)を受賞
2000年:映画『十五才 学校Ⅳ』にて助演男優賞(日刊スポーツ映画大賞)を受賞
こおろぎさとみ
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本名
興梠 さとみ(こうろぎ さとみ)
出身
東京都
職業
声優
所属
ぷろだくしょんバオバブ
生年月日
1962年11月14日
東京都出身の声優です。
声優の他にもナレーターや女優としても活躍しています。
子供の声でセールスの電話を断るのが得意だと話すこおろぎさんですが、幼少期から吃音に悩まされていたそうです。
自分の名前である「さとみ」が言えず「・・・みぃ」と発音していた事もあり、あだ名は「みぃ」だったそうです。
姉の弾くピアノに合わせて歌うと、どもることがなく、繰り返し歌い自信がついたことで、吃音を克服できたと語っています。
主な活躍
1988年:アニメ『それいけ!アンパン』に出演
1990年:アニメ『キャッ党忍伝』にて「おタマ」役で出演
1991年:アニメ『少年アシベ』にて「ゴマちゃん」役で出演
1992年:アニメ『花の魔法使いマリーベル』にて「ユーリ」役で出演
1996年:アニメ『クレヨンしんちゃん』にて「野原ひまわり」役で出演
1997年:アニメ『少女革命ウテナ』にて「チュチュ、影絵少女B子」役で出演
1998年:アニメ『ポケットモンスター』にて多くの役に出演
2003年:アニメ『金色のガッシュベル』にて「ウマゴン」役で出演
2005年:アニメ『こみっくパーティー Revolution』にて「桜井あさひ、モモ」役で出演
2006年:アニメ『機神咆吼デモンベイン』にて「ソーニャ、稲田比呂乃、ルルイエ異本」役で出演
2007年:アニメ『この青空に約束を― ?ようこそつぐみ寮へ?』にて「沢城凛奈」役にて出演
2008年:アニメ『チーズスイートホーム』にて「チー」役にて出演
2009年:アニメ『CLANNAD ?AFTER STORY?』にて「岡崎汐」役にて出演
2012年:アニメ『FAIRY TAIL』にて「フロッシュ」役にて出演
2015年:アニメ『血界戦線』にて「偏執王アリギュラ」役で出演
2018年:アニメ『ポプテピピック』にて「ポプ子」役で出演
柴田秀勝
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出身
東京都
職業
声優、俳優
所属
青二プロダクション
生年月日
1937年3月25日
東京都出身の青二プロダクション所属の声優、俳優、ナレーター、演出家です。
幼少期から吃音があり、特に「た行」を苦手としていました。
中学ではバス通学をしていたが、車掌に行き先を伝え切符を買うシステムから、最寄りの駅である『虎ノ門』が言えず、毎日2駅分歩いて通学したといいます。
高校では演劇部に入部し、俳優への道を辿ります。
『タイガーマクス』のミスターX役を演じる際に、含み笑いで発声したところ、リズムにのることができたからか、苦手としていた「た行」の癖を克服したそうです。
この成功体験により、どんな役でもできると確信しナレーションの仕事まで請け負うようになりました。
主な活躍をリストアップしようにも、1957年のテレビドラマである『ダイヤル110番』でデビューした後、現代に至るまで、その時代その時代の代表作に出演しており、挙げだしたらキリがありません。
紛れもなく、吃音がある有名人の中でも大物であることは間違いありません。
青二プロダクションのホームページにある柴田秀勝さんのプロフィールはコチラ です。
マリリン・モンロー
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本名
ノーマ・ジーン・モーテンソン
国籍
アメリカ
職業
女優
生年月日
1926年6月1日
アメリカの女優、モデルです。
1950年代を代表する『セックスシンボル』の1人であり、セクシャリティに対する時代の態度を象徴した人物です。
ロサンゼルスで生まれ、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごし、その後も養家を転々とする生活を送っていました。
時には性的虐待や育児放棄、育児怠慢などの扱いを受けたことで、吃音が発症したと言われています。
ハリウッド女優になってからも、薬物乱用やうつ病、不安などに悩まされており、睡眠薬の過剰摂取により36歳でこの世を去っています。
モンローさんは吃音を回避するために、あのセクシーな話し方をしていたと言われています。
持ち前の容姿をさらに惹きたてることに、吃音が一役かっていたのです。
主な活躍
1947年:映画『嵐の園』で女優デビュー
1953年:映画『ナイアガラ』にて初の主演
1957年:映画『バス停留所』にて主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞
1995年:映画『七年目の浮気』に出演
1959年:映画『お熱いのがお好き』にて主演女優賞(ゴールデングローブ賞)を受賞
ジュリア・ロバーツ
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本名
ジュリア・フィオナ・ロバーツ
国籍
アメリカ
職業
女優
生年月日
1967年10月28日
アメリカの女優です。
ロバーツさんの吃音に関する記事はあまりないのですが、複雑な家庭環境だったことは報じられています。
・両親が不仲で5歳の時に離婚
・その年に再婚したが継父がアルコール中毒
・16歳の時に再び親が離婚
・兄エリックがドラック所持で逮捕
・47歳の時に妹が自殺
吃音発症のきっかけには家庭環境による要因もあるとされていますので、吃音になりやすい体質だった場合、発症しても不思議ではありません。
それでも家庭環境を理由に投げ出したりせずに、女優というデカイ夢を叶えたロバーツさんは、下記の様な功績を残しています。
主な活躍
1988年:映画デビュー
1989年:映画『マグノリアの花たち』 にて助演女優賞(ゴールデングローブ賞)を受賞
1990年:映画『プリティ・ウーマン』にて主演女優賞(ゴールデングローブ賞)を受賞
2000年:映画『エリン・ブロコビッチ』にて下記賞の主演女優賞を受賞
・アカデミー賞
・ロサンゼルス映画批評家協会賞
・英国アカデミー賞
・ゴールデングローブ賞
2006年:舞台作品『Three Days of Rain』にてブロードウェイデビュー
2010年:初来日
ブルース・ウィリス
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本名
ウォルター・ブルース・ウィリス
国籍
アメリカ(ドイツ生まれ)
職業
俳優
生年月日
1955年3月19日
ドイツ生まれのアメリカ人で俳優です。
またプロデューサーやミュージシャンとしても知られています。
ウィリスさんは高校生の頃に、吃音によってずいぶん悩んでいたそうです。
しかし『自分自身を表現する』ことができる部活(演劇部)ではどもることが無く、徐々に改善されたと言われています。
吃音者は『感受性』が強い人と言われており、それはどんな分野においても武器になります。
同時に吃音はどんな分野においても、言葉ついてハンデとなります。
ウィリスさんと同じ様に吃音が出ない分野を見つけることができれば、吃音者が成功するのは必然かもしれません。
主な活躍
1985年:ドラマ『こちらブルームーン探偵社』にてエミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞
1989年:映画『イン・カントリー』にて助演男優賞(ゴールデングローブ賞)にノミネート
1994年:映画『薔薇の素顔』では映画史上で最もセクシーなシーンであると賞賛
1999年:ドラマ・映画『シックス・センス』にてブロックバスター・アワード(男優賞サスペンス部門)、ピープルズ・チョイス・アワード(男優賞ドラマ部門)を受賞
2000年:ドラマ『フレンズ』にてエミー賞(ゲスト出演賞テレビ部門)を受賞
2002年:ハーバード大学よりヘイスティ・プディング賞マン・オブ・ザ・イヤーを受賞
2006年:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が追加(2321番目)
エミリー・オリヴィア・ブラント
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本名
エミリー・オリヴィア・ブラント
国籍
イギリス
職業
女優
生年月日
1983年2月23日
イギリスの女優です。
2006年に公開された『プラダを着た悪魔』では助演女優賞を受賞しています。
10歳ごろから吃音の症状が現れ、なかなか治らないことから『話すことを諦める』ことも考えたといいます。
学校の先生のアドバイスにより、北部の訛りで発話してみた結果、どもる事が無くなり克服できたようです。
吃音の克服の要因として『成功体験を積む』ということが挙げられています。
一つでも吃らない方法(訛り、リズム、環境など)が見出せると、克服への道が拓けるかもしれません。
主な活躍
2001年:舞台デビュー
2003年:『ウォリアークイーン』で映画デビュー
2004年:映画『マイ・サマー・オブ・ラブ』にて新人賞(イヴニング・スタンダード英国映画賞)を受賞
2006年:映画『プラダを着た悪魔』にてハリウッドデビュー
2006年:映画映画『ナターシャの歌に』にて助演女優賞(ゴールデングローブ賞)を受賞
2009年:映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』にて主演女優賞(ゴールデングローブ賞)にノミネート、ブリタニア賞(英国アカデミー賞)を受賞
ペギー・リプトン
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本名
マーガレット・アン・“ペギー”・リプトン
国籍
アメリカ
職業
女優(元モデル)
生年月日
1946年8月30日
アメリカの女優です。
モデルや歌手としても知られています。
中流上層階級のユダヤ人家庭で裕福に育ったが、祖父からの性的虐待などの影響により、内気で神経質な性格となり、吃音の症状もみられたといいます。
18歳の頃にロスアンゼルスに引越し、20歳の時に芸能界入りしています。
モデルや女優として、歌手としても成功に恵まれました。
過去の悪夢に囚われず、前を向いて努力をした成果です。
主な活躍
1964年:テレビ『ジョン・フォーサイス・ショー』にてデビュー
1968年:テレビ『モッズ特捜隊』で知名度が上がる
1971年:最優秀女優賞(ゴールデングローブ賞ドラマ部門)を受賞
ミシェル・ウィリアムズ
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本名
ミシェル・イングリッド・ウィリアムズ
国籍
アメリカ
職業
女優
所属
アメリカ
生年月日
1980年9月9日
アメリカの女優です。
学生時代にはいじめを受けており、吃音にも悩まされていました。
しかし14歳の時に『名犬ラッシー』で映画デビューを果たし、16歳で親元を離れるなど、持ち前の『行動力』で数々の功績を残しています。
主な活躍
1994年:映画『名犬ラッシー』にてデビュー
2005年:映画『ブロークバック・マウンテン』 にて助演女優賞(放送映画批評家協会賞)を受賞
2010年:映画『ブルーバレンタイン』にてアカデミー主演女優賞にノミネート
2011年:映画『マリリン 7日間の恋』にて主演女優賞(ゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門)を受賞
2016年:映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』 にて助演女優賞(全米映画批評家協会賞)を受賞
サミュエル・L・ジャクソン
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国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1948年12月21日
アメリカの俳優です。
コミックやアニメの熱心なファンであり、『アフロサムライ』のアニメ化にはプロデューサーや声優としても活躍しました。
また千葉真一さんの熱狂的なファンでもあり、演技を参考にしていると言います。
自ら吃音者であることを公言しています。
子供の頃にはからかわれたりした経験があり、それをバネに懸命に勉強し名門大学へ進学しています。
現在でも『G』の綴りから始まる単語が出ないことがあり、それを『Gの日』としているも語ります。
『Pの日』『Bの日』『Sの日』と、その日によって詰まる言葉は変わるそうです。
そんな時サミュエルさんは「マザーファッカー」と自分に向かって言い放ち、気持ちを落ち着けていると発言しています。
※「マザーファッカー」とは嫌いなヤツ、臆病者、愚か者、クソ野郎などの意味を持ちます。
主な活躍
1981年:映画『ラグタイム』にてデビュー
1991年:映画『ジャングル・フィーバー』にて助演賞(カンヌ国際映画祭、ニューヨーク映画批評家協会賞)を受賞
1994年:映画『パルプ・フィクション』にて助演男優賞(英国アカデミー賞)を受賞
1998年:映画『ジャッキー・ブラウン』にて銀熊賞(ベルリン国際映画祭)を受賞
2002年:映画『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』に出演
2005年:映画『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』に出演
2008年:映画『スター・ウォーズ/クローンウォーズ』に出演
2011年:『史上最高の興行収入を上げた俳優』としてギネス登録
2012年:映画『アベンチャーズ』に出演
日本でも話題となるアクション系の映画には、必ずと言って良いほど出演しています。
僕も大好きなシリーズで『キャプテンアメリカ』や『アベンチャーズ』、『アイアンマン』に登場しているサミュエルさんは記憶に新しいです。
ジェームズ・ステュアート
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国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1908年5月20日
アメリカの俳優です。
「アメリカの良心」と呼ばれるステュアートさんは、ゴシップの少ない稀有なスターです。
アメリカの吃音協会会長であるフレイザーさんは、「彼が多くの名作映画に出演することは、吃音がある多くの人に、特に若い年齢の吃音者にとってどんなに励ましになっていることだろう」と賞賛しました。
多くの賞を受賞し、アメリカ映画スターベスト100(AFIアメリカ映画100年シリーズ)では、男性スター部門で3位にランクインしています。
主な活躍
1935年:映画『舗道の殺人』にてデビュー
1939年:映画『スミス都へ行く』にて主演男優賞(ニューヨーク映画批評家協会賞)を受賞
1940年:映画『スミス都へ行く』 にてアカデミー主演男優賞(アカデミー賞)にノミネート
1941年:映画『フィラデルフィア物語』 にてアカデミー主演男優賞(アカデミー賞)を受賞
1947年:映画『素晴らしき哉、人生!』 にてアカデミー主演男優賞(アカデミー賞)にノミネート
1951年:映画『ハーヴェイ』 にてアカデミー主演男優賞(アカデミー賞)にノミネート
1959年:映画『或る殺人』にて主演男優賞(ニューヨーク映画批評家協会賞)を受賞
1960年:映画『或る殺人』 にてアカデミー主演男優賞(アカデミー賞)を受賞
1963年:映画『H氏のバケーション』 にて主演男優賞 (ゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門)にノミネート
1965年:セシル・B・デミル賞 を受賞
1974年:ドラマ『Hawkins』 にて男優賞 (ゴールデングローブ賞テレビドラマ部門)を受賞
1985年:アカデミー名誉賞 (アカデミー賞)を受賞
チャーリー・シーン
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国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1965年9月3日
アメリカの俳優です。
自身に吃音があることを公言しており、「学生時代には答えが分かっていても、手を挙げることはなく、ただ黙りこくっていた」と語っています。
俳優として成功を収めた要因となる柔軟な発想には吃音が寄与しており、「人の話に耳を傾けることは忘れがちだが、私は吃音によってそれを学んだ」と発言しています。
スキャンダルが絶えないトラブルメーカーの印象が強いシーンさんですが、難病のチャリティ活動の”アイス・バケツ・チャレンジ”では、氷水を被る代わりにバケツ一杯のお札(1万ドル)を被り、ASL基金に寄付するなど人情が暑い一面も持ち合わせています。
主な活躍
1984年:映画デビュー
1986年:映画『プラトーン』にて主演を務める
1987年:映画『ウォール街』に出演
1988年:映画『ヤングガン』に出演
1989年:映画『メジャーリーグ』に出演
1991年:映画『ホット・ショット』に出演
2002年:映画『スピン・シティ』にて主演男優賞(ゴールデングローブ賞)
リティク・ローシャン
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国籍
インド
職業
俳優
生年月日
1974年1月10日
インドの俳優です。
インドでは広く知られている人気俳優ですが、6歳の頃から吃音によって悩まされてきたと公言しています。
子供の頃はよく笑われたそうで、学校で行われるスピーチテストの時には、仮病を使って休む他、自ら腕を打撲させたり、足を捻挫させるなどした経験もあるそうです。
毎日1時間をかけて発生トレーニングをしたり、スピーチセラピーを受けるなどして克服を果たしています。
現在でもスピーチセラピーに通い続け、常にベストコンディジョンでいることを心掛けていると語っています。
主にボリウッドで活躍し、フィルムフェア賞(最優秀主演男優部門)を過去に4度受賞しています。
ジェームズ・アール・ジョーンズ
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国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1931年1月17日
アメリカの俳優・声優です。
スター・ウォーズのダースベイダーの声を務めたことで有名なジョーンズさんですが、幼少期の頃から吃音に悩まされた一人です。
高校に入る前までは、ほとんど人前では言葉を発しなかったと言われています。
吃音を治すために演技のレッスンを受けるようになり、それがキッカケとなり俳優への道を進むことになりました。
主な活躍
1953年:活動開始
1969年:演劇『The Great White Hope』にて演劇主演男優賞(トニー賞)を受賞
1977年:映画『スター・ウォーズ(エピソード4/新たなる希望)』にてダースベイダーの声を担当
1987年:演劇『Fences』にて演劇主演男優賞(トニー賞)を受賞
1991年:ドラマ『Gabriel’s Fire』にて主演男優賞(エミー賞のドラマ部門)を受賞、映画『Heat Wave』にて助演男優賞ミニシリーズ(エミー賞のテレビ映画部門)を受賞
2011年:アカデミー賞にて名誉賞を受賞
ヒュー・グラント
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国籍
イギリス
職業
俳優
生年月日
1960年9月9日
イギリスの俳優です。
“ロマンティック・コメディ”の帝王と呼ばれたグラントさんにも吃音があると、一部メディアでは報じられています。
映画『フォー・ウェディング』では吃音のある青年の役を演じ、『英国王のスピーチ』でも制作当初ではグラントさんにオファーが来ていていたなど、吃音に関わる依頼が多い俳優です。
主な活躍
1987年:映画『モーリス』にて男優賞(ヴェネツィア国際映画祭)を受賞
1994年:映画『フォー・ウェディング』 にて主演男優賞(英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞)を受賞
2006年:映画界、演劇界への長年に渡る貢献に対して名誉賞(セザール賞)を受賞
2016年:映画『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』にて助演男優賞(ハリウッド映画賞)を受賞
ニコラス・ブレンドン
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国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1971年4月12日
アメリカの俳優です。
2015年に第三級強盗罪で逮捕されています。
エズラ・ミラー
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本名
エズラ・マシュー・ミラー
国籍
アメリカ
職業
俳優
生年月日
1992年9月30日
アメリカの俳優です。
ミュージシャンとしても知られていますが、幼少期から吃音の症状が見られたミラーさんですが、6歳の頃から始めたオペラ歌手としての訓練によって吃音を克服しています。
主な活躍
2008年:映画『Afterschool』にてデビュー
2011年:映画『少年は残酷な弓を射る』がカンヌ国際映画祭で上映され、絶大な賛辞を集める
2012年:映画『ウォールフラワー』に出演
2016年:映画『ハリー・ポッターシリーズ(ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅)』に出演
ローワン・アトキンソン
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本名
ローワン・セバスチャン・アトキンソン
国籍
イギリス
職業
俳優(コメディアン)
生年月日
1955年1月6日
イギリスのコメディアン、俳優、脚本家です。
“Mr.ビーン”として知られており、2012年にはロンドンオリンピックでは開会式にも出演している人気コメディアンです。
ただ、本人として「50歳をすぎて幼稚なキャラクターをやっているのは切ない」と語ったそうです。
アトキンソンさんにも酷い吃音がありますが、別のキャラクターを演じる途端に吃音が無くなるそうです。
おとぼけキャラで浸透していますが、世界大学ランキングで常にトップレベルの優秀大学であるオックスフォード大学にて理学博士をとっています。
車好きとしても知られており、高級車やスポーツカーを数台所有しています。
主な活躍
2003年:オブザーバー紙による「イギリスのコメディアンの中で最も面白い人ベスト50」にランクイン
2005年:「コメディアンの中のコメディアン」の投票にてトップ50入り
2012年:ロンドンオリンピックの開会式にMr.ビーン役で出演
2013年:大英帝国勲章コマンダー(CBE)を受勲
代表作
・ブラックアダー
・Mr.ビーン
・ラットレース
・ジョニー・イングリッシュ
・ラブ・アクチュアリー
チャップリン
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本名
チャールズ・スペンサー・チャップリン
国籍
イギリス
職業
俳優、映画監督
生年月日
1889年4月16日
イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家です。
『喜劇王』や『世界の三大喜劇王』などの異名を持つチャップリンさんにも吃音があったと言われています。
あまりチャップリンさんと吃音に関するエピソードは記録されておらず、確かな証拠もありませんが、いくつかのサイトにて名前が挙がっています。
吃音が発症する要因の一つに『きっかけ』があります。
環境の変化や精神的な負荷によって、突然吃音は現れます。
その観点からはチャップリンさんが吃音者であってもおかしくない半生を送ってきています。
1歳のときに両親は離婚し、5歳のときに母親が職を失ったことで、チャップリン家は貧窮生活に陥ります。
1896年頃に母親は精神に異常をきたし施設に収容されるとチャップリンは貧民院や孤児学校を渡り歩き、生きるために様々な職を転々し、時にはコソ泥まで働いたと言われています。
主な活躍
1929年:『サーカス』にて特別名誉賞(アカデミー賞)を受賞
1940年:『独裁者』にて男優賞(NY批評家協会賞)を受賞
1972年:『ライムライト』にて作曲賞(アカデミー賞)を受賞
1972年:ヴェネツィア国際映画祭にて栄誉賞を受賞
1977年:セザール賞を受賞
1987年:セザール賞を受賞
ウェイン・ブレイディ
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国籍
アメリカ
職業
脚本家
生年月日
1937年
アメリカの俳優です。俳優の他に脚本家やコメディアン、ゲームショーのホストなどでも知られています。
幼少期の頃から吃音に悩まされており、「口をあけることさえも嫌だった」とインタビューに答えています。
学校では吃音をからかわれることから、完全に黙り込むようになったそうです。
この吃音をからかわれるという経験から、『見返してやりたい』という気持ちが芽生え、16歳の頃から劇場でパフォーマンスをするようになりました。
2003年にはプライムタイム・エミー賞(個人演出部門)を受賞し、広く名前が売れるようになりました。
映画・アニメ監督
映画やアニメ業界に関する有名人を下記します。
細田守
日本のアニメ監督・アニメーターです。
子供の頃から吃音があったと言われ、小学1・2年生の頃は時別支援学級に通っていたそうです。
喋らなくてもいいような職業はないかと考えるようになり、絵を描き始めたとインタビューで答えています。
今では人と話さなくては仕事にならない、アニメ監督として活動しているとは、当時は思いも寄らないことだったと語っています。
同じ様に苦しんでいる若い世代に向けて、細田さんは下記の様なアドバイスをしています。
変われない。ずっとこのまま悩みが続く。
そう思ってしまうかもしれないけど、そんなことは絶対にない。
常に変わる。世の中も変われば、人も変わる。
それに合わせて自分も変わる。
その変わっていく先の自分を想像してごらん。
主な活躍
2006年:アニメ『時をかける少女』 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭 アニメーション部門最優秀長編作品賞を受賞
2007年:アニメ『時をかける少女』 にて最優秀アニメーション作品賞 (日本アカデミー賞)、毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞
2009年:アニメ『サマーウォーズ』 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、シッチェス・カタロニア国際映画祭 アニメーション部門最優秀長編作品賞を受賞
2010年:アニメ『サマーウォーズ』 にて最優秀アニメーション作品賞 、毎日映画コンクールアニメーション映画賞(日本アカデミー賞)を受賞
2012年:『おおかみこどもの雨と雪』にてシッチェス・カタロニア国際映画祭 アニメーション部門最優秀長編作品賞 を受賞
2013年:アニメ『おおかみこどもの雨と雪』 にて最優秀アニメーション作品賞 (日本アカデミー賞)、毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞
2015年:アニメ『バケモノの子』にて最優秀アニメーション作品賞 (日本アカデミー賞)を受賞
羽仁進
日本の映画監督です。
日本吃音臨床協議会から『吃音と人間関係』という羽仁さんの吃音論が書かれた書籍が販売されていたり、1969年にNPO法人全国言友会の創立3周年記念祭で公演を行うなど、積極的に吃音の啓発活動を行なっています。
主な活躍
1956年:キネマ旬報短編映画ベストテンで1位 を獲得
1961年:キネマ旬報作品賞(監督賞)、マンハイム国際映画祭にて金賞 を受賞
1964年:ベルリン国際映画祭にて特別賞を受賞
1965年:モスクワ国際映画祭にて監督賞 を受賞
1969年:オーストラリア映画祭にて南十字星賞を受賞
篠田正浩
日本の映画監督です。
幼少期から吃音があり、特に国語の朗読が苦手だったと言われています。
これまで多くの公演を行っていますが”吃音というコンプレックス”があったからこそ、頑張れたと発言しているようです。
主な活躍
1986年:映画 『鑓の権三』 にて芸術貢献賞として銀熊賞(ベルリン国際映画祭)を受賞
1991年:映画『少年時代』 にて監督賞(日本アカデミー賞、ブルーリボン賞)を受賞
1985年:映画『瀬戸内少年野球団』 にて作品賞(ブルーリボン賞)を受賞
2016年:京都国際映画祭にて牧野省三賞を受賞
北川敬一
映画・テレビドラマのプロデューサーや監督です。
「同情するなら金をくれ!」のフレーズでおなじみの『家なき子』や、『古畑任三郎』などを手がけています。
一方で吃音に関する活動も精力的に行っており、吃音に関する書籍やドキュメンタリー映画の製作もしています。
吃音に向き合うためのドキュメンタリー映像集である『ただ、そばにいる』は、社会保障審議会推薦児童文化財となっています。
デヴィッド・サイドラー
引用元: 『英国王のスピーチ』のデヴィッド・サイドラーが脚本賞を初受賞!
アメリカの舞台・テレビ・映画の脚本家です。
戦争による精神的なストレスにより吃音になったと自身で言及しており、10代の頃は吃音によって他人を不愉快にしないように無口な人間として過ごしてきたと語っています。
自宅のアパートが爆撃され、ボートで旅に出るなど戦争の悲劇を体験しています。
自身も悩まされた吃音をテーマに、脚本を書いた『英国王のスピーチ』では、英国アカデミー賞・アカデミー賞・放送映画批評家協会賞などを受賞しました。
主な活躍
1988年:『タッカー』の脚本を手掛ける
2010年:映画『英国王のスピーチ』にてアカデミー脚本賞、英国アカデミー賞オリジナル脚本賞などを受賞
ミュージシャン
歌を歌っている時は、吃ることが無いという方も多いのではないでしょうか?
僕も普段から吃りますが、歌を歌う時は嘘の様に言葉がスラスラ出てきます。
難しいラップでさえも、舌が回る回る。
本当に不思議なものです。
この”歌っている時は吃らない”という性質を使った吃音の治療法もあります。
メトロノームに合わせてリズムを刻みながら話すリズム法です。
歌を歌うことで、吃音を克服した人も多くいますので、是非とも参考にしてみて下さい。
喜早哲
ダークダックスとして活動していた歌手です。
小学生の頃に吃音により酷く悩んだといわれており、人前では焦って言葉が出てこなかったそうです。
母親の勧めにより発生練習などのトレーニングを毎晩行い、それが終わるまで寝かせてくれなかったと言われています。
紅白歌合戦の常連だったダークダックスのメンバーにも吃音があったというのは、多くの吃音者に夢を与えてくれます。
主な活躍
1958年:『四季の自然による四つの試み』にて第13回文部省芸術祭奨励賞を受賞
1967年:『ダークダックス・ショウ 日本のこどもたち』にて:第22回文部省芸術祭奨励賞を受賞
1968年:一連の児童詩作品発表に対し、第3回モービル児童文化賞を受賞
1969年:子供達のための演奏会・児童詩の制作発表に対し、第24回文化庁芸術祭奨励賞を受賞
1971年:『花のメルヘン』にて第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞
1972年:『日本唱歌大百歌』にて第14回日本レコード大賞企画賞を受賞
1974年:『ダークダックス・北原白秋を歌う』にて第28回文化庁芸術祭優秀賞を受賞
1976年:『父と娘』にて第9回日本作詩大賞LP賞を受賞
1976年:25年間の音楽活動に対し、第18回日本レコード大賞特別賞を受賞
1976年:『花子の車椅子募金』にてギャラクシー賞を受賞
1981年:朝日新聞全国版掲載「絆」の意見広告に対し、朝日広告賞特別賞を受賞
1983年:『歌声が聞こえる』にて第16回日本作詩大賞優秀作品賞を受賞
1988年:長年の活動に対し、第8回日本作曲大賞特別賞を受賞
1993年:紫綬褒章を受賞
2005年:長年の活躍に対し、第47回日本レコード大賞功労賞を受賞
チバユウスケ
引用元: 「チバユウスケ」×「MagicalDesign」×「MonkeyFlip」再リリース決定!
日本のミュージシャンです。
The BirthdayやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどのボーカリストとして活躍しました。
レコード収集家という一面もあり、過去にテレビ番組内でレコードを紹介するコーナーを持っていました。
様々なメデアにて吃音の症状が確認されていますが、最も印象的だっあのはHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP出た際に何度も何度も言葉に詰まり、松本人志に「よ〜し、よしよし」と言われたシーンです。
音楽番組にも多数出演していますが、MCとの会話はあまり弾むことがなかった様にみえます。
しかし、こと音楽のこととなると自身のバンドにおいては、ほぼ全ての楽曲の作詞を手掛けるなど抜群の才能を見せています。
普段は吃音によって言葉が制限されている分、音楽という形で自分の考えを世の中に発信しているのだと感じます。
MALTA
引用元: MALTAのオファー問合せ・・CONTACTへ
日本のサックス奏者です。
アルバム「SPARKLING」で第1回日本ゴールドディスク大賞を受賞し、アメリカでも活動をしているサックス界のレジェンドです。
吃音と赤面症に悩む少年時代に音楽を聞いたり、歌を唄えば治ることに気が付き、音楽の魅力に惹かれたそうです。
中学生になったある時サックスと出会い「素晴らしく美しい楽器だ」との第一印象を語っています。
「一芸に秀でること、一生勉強すること」
これを格言とし、これまで活動してきたMALTAさん。
23歳で単身渡米してサックス一本で生活し、かの有名なライオネル・ハンプトン楽団のコンサートマスターになるほどのプレイヤーとして地位を確立しました。
主な活躍
1980年代後半:MALTAの演奏をBGMに、たばこ・キャビンのCMが話題を呼んだ
1996年:京都芸術大学・京都芸術短期大学の客員教授に就任
2002年:中央競馬・札幌記念にて生ファンファーレを演奏
2004年:通算27枚目にして自身初となるJAZZアルバム「MANHATTAN IN BLUE」(N.Y.録音)を発表し、 “SwingJournal選定【ゴールド・ディスク】
2005年:東京・大阪で開催された「Fete de la Musique au Japon 音楽の祭日」の名誉顧問を務める
2007年:大阪芸術大学の客員教授にも就任
2008年:大阪芸術大学の教授に着任
2011年:倉吉市の観光大使に就任
2013年:個人マネジメント会社「MALTA JAPAN」を設立し代表取締役社長に就任 2014年:東京藝術大学音楽学部客員教授に就任
アン・ウィルソン
アメリカの歌手です。
1974年にバンドを結成し、2013年にロックの殿堂入りを果たした『ハート』のリードボーカルです。
長年活躍し、世界的に評価を受けているウィルソンさんにも吃音がありました。
時に高校に入ってから酷くなったそうで、クラスメートから笑われ、朗読の時間は悪夢だったと語っています。
歌う様に話すと、上手く言葉が出てきたとも発言しています。
主な活躍
1976年:デビューアルバム『Dreamboat Annie』にてMagic Manで全米9位、Crazy on Youで全米35位を記録
1977年:2ndアルバム『Little Queen”』を発表し、シングル「Barracuda」は全米11位を記録
1985年:8thアルバム『Heart』にて全米1位を記録
1987年:9thアルバム『Bad Animals』にて全米2位を記録
1990年:10thアルバム『Brigade』にて全米3位を記録
2013年:ロックの殿堂入り
エド・シーラン
イギリスのシンガーソングライターです。
アメリカの吃音協会が開催したチャリティーイベントにて、シーラン さんは下記の様なスピーチをしたと報じられています。
生まれた時に顔に大きなアザ(ポートワイン母斑)があり、レーザーで切除するときに吃音の症状が現れたそうです。
9歳の時にエミネムの『The Marshall Mathers LP』を買ってもらい、すごく早いメロディーのある楽曲に感銘を受けたそうです。
10歳になる頃には曲になる言葉を全て覚え、吃音の克服に役立ったと話しています。
「どもりは全く気にする必要はない。ありのままの自分で居て欲しい。自分の変わっているところを受け入れて。変わっていることは素晴らしいことだ。」 と、吃音を持つ子供達にエールを送りました。
主な活躍
2012年:ブリット・アワード2012にて『最優秀ブリティッシュ・ブレイクスルー・アクト賞』と『最優秀男性ソロ・アーティスト賞』を受賞
2015年:MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードにて『最優秀ライブ・アクト賞』、ブリット・アワード2015にて『最優秀ブリティッシュ男性ソロ・アーティスト賞』、『最優秀ブリティッシュ・アルバム賞』、エコー賞にて『最優秀インターナショナル・男性ソロ・アーティスト賞』を受賞
2016年:グラミー賞にて『最優秀楽曲賞』、エコー賞にて『最優秀インターナショナル・男性ソロ・アーティスト賞』を受賞
2018年:グラミー賞にて『最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス』を受賞
カーリー・サイモン
アメリカのシンガーソングライターです。
1970年代に一世風靡したサイモンさんは、米王手出版会社サイモン&シュスターの共同創立者の父を持ち、裕福な家庭に生まれましたが、11歳頃から吃音の症状が現れ、人前で話すことが苦痛だったと語っています。
精神科医による吃音の改善を試みるも、上手くいかなかったそうです。
次第に歌と作曲に没頭するようになり、「話すことは上手くいかないので、曲を作ることが私にとって自然で楽しかった。歌を歌うときはどもることはありませんから。」と話しています。
主な活躍
1971年:最優秀新人賞(グラミー賞)を受賞
1973年:『うつろな愛 (You’re So Vain) 』、ム『ノー・シークレッツ』にて全米1位を記録
1977年:映画『007 私を愛したスパイ』の主題歌”Nobody Does It Better”が全米2位を記録
1978年:『ユー・ビロング・トゥ・ミー』が全米6位を記録(収録された『男の子のように』ではBillboard 200で10位を記録)
1989年:映画『ワーキング・ガール』の主題歌”ステップ・バイ・ステップ”ではアカデミー歌曲賞を受賞
2005年:カバーアルバム『ムーンライト・セレナーデ』にて全米7位を記録
ジョン・リー・フッカー
アメリカのブルース・シンガー、ギタリストです。
ロックの殿堂入りを果たし、偉大なギタリストとしても名を連ねるフッカーさんにも吃音がありました。
幼少期から吃音があり、音楽へと関心を向けるようになっていったと語っています。
1953年にリリースした『吃音ブルース』は、自身の吃音をモチーフにした楽曲を発表しています。
「吃音という弱点が成功の秘訣に思う」とチャールズ・シャール・ムーレイ氏は発言しています。
主な活躍
1989年:アルバム『The Healer』にてグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・レコーディング賞を獲得
1991年:ロックの殿堂入り
2011年:”ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人の『ギタリスト』”において第35位を記録
2011年:”ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人の『シンガー』”において第81位を記録
スキャットマン・ジョン
アメリカのミュージシャンです。
52歳にして歌手としてデビューしたジョンさんですが、吃音をモチーフとした歌唱法である『テクノスキャット』で有名です。
ただ、歌手として成功するまでに苦悩の日々を過ごしてきたことをご存知でしょうか?
幼少期の頃から吃音があり、克服に向けた努力を幾度となく試みるも、全て失敗に終わりました。
吃音によるストレスから逃れるためにアルコールに逃げる様になりドラッグにまで手を出すようになってしまいました。
1991年頃からアメリカの吃音者団体(NPS)に参加する様になり、徐々に自分が吃音者であるということを受け入れられる様になったと語っています。
1995年デビュー当時のインタビューでは「重度の吃音だった」と担当したジャーナリストは発言しています。
その後、コンサートで全国を回る様になった時のインタビューでは、「経歴を装うため吃音者コミュニティーを利用しているのではないか」と疑いをかけられるほど流暢に話していたと記録されています。
主な活躍
・『スキャットマンズ ワールド』は日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を記録
・日本でベスト・ニュー・インターナショナル・アーティストを受賞
・ドイツでビッゲスト・クロスオーバー・アーティストECHO賞を受賞
・イタリア・フランス・ポーランドでも多くの賞を受賞
・ゴールドディスク14枚、プラチナディスク18枚を獲得
・1996年吃音者に関して著しい功績を与えたことにより『アニー・グレン賞、チャールズ・ヴァン・ライパー賞』を受賞
ノエル・ギャラガー
イギリスのミュージシャンです。
世界的ロックバンド『オアシス』のメイン・ソングライターだった彼にも吃音がありました。
アルコール依存症の父親から暴力を受けるなどして、心理的な不安から吃音が発症したと言われています。
小学校では吃音を理由にじめられた経験もあるそうです。
母親が吃音セラピーに4年間通わせてくれたこともあり、克服していると語っています。
主な活躍
1994年:アルバム『オアシス』にて初登場1位をイギリスで記録
1995年:2ndアルバム『モーニング・グローリー』の売上枚数は全世界で約1000万枚以上を記録、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新
2日間4万人を動員するライヴを開催、ヨーロッパの屋内ライブしてギネス記録
1998年:日本武道館で3日間のライブを開催
2005年:イギリスで最も成功したバンドとしてギネス認定
2007年:ブリット・アウォーズ生涯功労賞を受賞
リアム・ギャラガー
イギリスの歌手です。
上でご紹介した『ノエル・ギャラガー』とは兄弟であり、同じ『オアシス』のメンバーです。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第11位に選出されています。
兄弟で吃音があり、ノエルさんと同様に吃音セラピーによる治療によって克服をしたと言われています。
この発言は兄のノエルさんによるものとされています。
ビル・ウィザーズ
アメリカのシンガーソングライターです。
吃音は「深刻な問題だった」と語るウィザーズさんは、幼少期の頃から悩まされていたと語っています。
海軍服役時代にスピーチ療法を受けるチャンスがあり、これをキッカケに克服したと発言しています。
吃音を克服したことで、話すことへの自信がつき歌手への道を進んだとされています。
主な活躍
1960年代末から音楽活動を開始
1980年代中期頃に引退
グラミー賞ノミネートは計6回(受賞は3回)
ゴールドディスク認定は、アルバムが3枚、シングルが3枚
メル・ティリス
アメリカのカントリー歌手です。
ソングライターとしてもシンガーとしても成功しているティリスさんにも吃音があったと言われています。
レコーディングしたアルバムは60枚以上にも及び、『グッド・ウーマン・ブルース』や『コカ・コーラ・カウボーイ』などのヒット曲を生んでいます。
また、彼はジョージ・ストレイトをはじめ、レイ・プライス、ボビー・ベア、ケニー・ロジャースなどに多数のNo.1ソングを提供しました。
幼少期の自分を『吃音少年』と呼ぶなど、吃音があることを公言している一方で、エンターティナーやレコーディングアーティストとしても活躍している姿は、多くの吃音者を勇気づけています
主な活躍
2007年:カントリーミュージックの殿堂入り
2012年:オバマ大統領より国際芸術賞を受賞
B.B.キング
アメリカのブルースギタリストです。
歌手や作曲者としても知られています。
ブルース界の巨人という異名の持つ彼にも吃音がありました。
『私は音楽で語るのだ』と発言しているキングさんは「いつも言葉と格闘していた。言いたい言葉が自分の内にあるのに、心と口が戦っている感じだ」と吃音を表現しています。
言葉は友達じゃない。
音楽、サウンド、リズムが私の友達だ。
そう語るキングさんは生涯、吃音を克服することは出来なかったものの、ブルース界では生涯に渡って牽引してきました。
主な活躍
1970年:『Thrill Is Gone』のリメイクにてグラミー賞を受賞
1993年:アルバム『Blues Summit』にてグラミー賞を受賞
2003年:『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト』にて3位(2011年では6位)に選出
2003年:『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー』にて96位に選出
エルヴィス・アーロン・プレスリー
アメリカのミュージシャン、映画俳優です。
ザ・ビートルズのメンバーが憧れ続けたことでも知られています。
ロックンロールの創始者であり、キング・オブ・ロックンロールと称されるプレスリーさんにも吃音があったと言われています。
小学生の同級生からも「よくどもっていた」と発言されています。
1956年のインタビューでも「興奮すると吃ることがある」と公言しました。
ライブの曲の合間のトークなどでも、頻繁にどもっていたそうで、言い直しなどをしていた姿が確認されています。
主な活躍
・ギネス・ワールド・レコーズにて『史上最も成功したソロ・アーティスト』として認定
・最多ヒットシングル記録(151曲)
・『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー』にて第3位
・『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト』にて第3位
・『Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー』にて第1位
・全米No.1シングル18曲(歴代2位)
・ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数は140タイトルを記録
・1日で最もレコードを売ったアーティスト(2000万枚以上)
・最も長時間No.1にエントリーしたアーティスト(80週)
メーガン・ワシントン
引用元: なぜ人前で話す恐怖の中で生き続けるのか
オーストラリアの歌手です。
オーストラリアを代表する歌手であり、人生の多くの時間をステージ上で過ごしたワシントンさんにも吃音があります。
「今の今まで、そして今でも、人前で話すことにどうしようもない恐怖を感じています」とスピーチにて発言しています。
“歌うことが一番の治療法”だとミュージシャンならではの考え方を持ち、「歌っていると本当に落ち着くんです。私が流暢になれるのはこの時だけなんです。」と語っています。
だからひたすら歌った
今日、ここにいるのはそのおかげ
と、吃音者であることが歌手として成功へと導いた要因であることを語っていました。
ラザロ・アルボス
引用元: ラザロ・アルボス アメリカンアイドルFAN!
アメリカTV番組『アメリカン・アイドル』で活躍をしたキューバ出身の歌手です。
重度の吃音によって、学校では友達ができずいつも一人でいたそうです。
常に一人でいたアルボスさんは、音楽が心の拠り所だったと語っています。
審査員とのトークもあるアメリカン・アイドルに出演し、重度の吃音を晒すことはとても勇気のいることです。
さらに、その後に歌を歌い”人を感動させる”アルボスさんの強い心に、同じ吃音を持つ人間として心から尊敬します。
アナウンサー
話すことを職業とするアナウンサーは、吃音者にとって最も難易度の高い仕事ではないでしょうか。
そんなアナウンサーにも、吃音がある有名人がいることは驚きです。
僕も吃音の克服が目的で”営業マン”を数年やったことがありますが、アナウンサーになろうという発想には至らなかったです。
そこまでの度胸はありませんでした。
吃音があっても、アナウンサーになろうと思えるほど強心臓の持ち主だけに、ご紹介する3人はアナウンサーの中でも郡を抜く存在です。
僕ら吃音がある人間にとって、光となる存在です。
小倉智昭
日本のアナウンサーです。
タレント、司会者、ラジオパーソナリティーとしても知られています。
朝のワイドショー番組でお馴染みの『とくダネ!』の司会者として幅広く知れ渡っているアナウンサーです。
自らを『吃音アナウンサー』と呼び、吃音があることを公言しており、多くのサイトで小倉さんと吃音についての記事が書かれています。
幼少期の頃から吃音があり、時にはいじめられることもあったそうです。
そんな彼らを見返すつまりでアナウンサーを志すようになったと語っており、今では”日本の朝の顔”となって成功を収めています。
主な活躍
1976年:フリーアナウンサーに転身
1989年:情報番組『キャッチ』の司会者に抜擢
1993年:テレビ『どうーなっているの』の司会を担当
1999年:情報番組『とくダネ!』の司会者に起用
小川宏
日本のアナウンサー、司会者です。
クイズ番組『ジェスチャー』の4代目司会者として10年に渡って活躍し、圧倒的な知名度を上げた小川さんにも吃音がありました。
3代目三遊亭圓歌とは幼馴染であり、圓歌さんは小川さんの吃音を真似てしいるうちに、圓歌さん自身も吃音になってしまったと話しています。
上記でご紹介した小倉智昭さんは、小川宏さんが吃音者でありながらアナウンサーとして成功している姿を見て、アナウンサーを志すキッカケとなったと話しています。
吃音があっても、言葉を扱う職業で成功できると最前線で証明した人物です。
主な活躍
1949年:早稲田大学を卒業
1949年:NHKに入局
1955年:テレビクイズ番組の『ジェスチャー』にて司会に抜擢
1965年:フジテレビと専属契約 (NHK退局)
1965年:朝のワイドショー「小川宏ショー」の司会に就任(以後17年間務める)
「小川宏ショー」にて人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定
川田亜子
日本のアナウンサーです。
29歳という若さで自殺をしてしまった川田さんですが、TBSのアナウンサーとしては入社半年にして『いちばん!』でメインキャスターを任されるなどの活躍をしており、さらなる活躍を期待された人です。
子供の頃に吃音があったそうですが、克服しアナウンサーという夢を叶えています。
自殺する前にはブログで悩みを綴ることが多くなり『先週から口が回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。普段から喋りがなめらかとは言えない私にとっても心配であり、不安が押し寄せてきます。』と吃音が再発したことを発信しています。
主な活躍
2002年:TBSに入社
メインキャスターとして『いちばん!』に抜擢
2003年:テレビ『爆笑問題のバク天!』にてアシスタントとして出演
2004年:『青木さやか・美人の素』『ウォッチ!』『儲かりマンデー!!』『Goro’s Bar』に出演
2005年:『BODY』『ネプベガス』『E娘!』に出演
2006年:『人間!これでいいのだ』『ネプ理科』に出演
2007年:フリーアナウンサー転身
テレビ朝日『サタデースクランブル』報道キャスター として出演
政治家
国を行先を舵取りする政治家にも、吃音を持つ有名人は多くいます。
その錚々たる顔ぶれに驚くことでしょう。
人口の1%しかいない吃音者ですが、社会のトップには1%を大きく超える吃音者の数がいると言われています。
正直、あまり信じられない話しですが、事実としてこれから名前を挙げる方々には吃音があり、完全に否定することはできません。
では国のトップに君臨した吃音のある政治家をご紹介していきます。
田中角栄
日本の政治家です。
第64・65代 内閣総理大臣として日本を牽引した人物です。
マスコミからは『闇将軍』との異名で呼ばれた田中さんにも吃音がありました。
吃音は稀に『天才病』と言われたりしますが、そう言われる理由としてはアインシュタインやダーウィン、ナポレオンなどの存在が大きいですが、この田中角栄という存在も寄与していることでしょう。
小学生の頃から天才としての頭角を現し、体育で9をとった意外はオール10だったと言われています。(当時は10が最高の評価)
その反面、最高学歴は中卒で止まっており、どこかビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどの天才達とも同じ匂いを感じます。
主な暦任
1947年:衆議院議員に当選
1952年:第12代 郵政大臣
1962年:第67-69代 大蔵大臣
1971年:第33代 通商産業大臣
1972年:第64-65代 内閣総理大臣
神近市子
日本の政治家です。
ジャーナリストや婦人運動家、作家、翻訳家、評論家としても知られています。
当時は少なかった珍しい女性国会議員として活躍した神近さんも吃音があったと言われています。
幼少期から吃っていたそうですが、キリスト教の学校で習っていた英語では、吃音が出なかったと発言しています。
また国会議員を志す要因の一つとして吃音が挙げられ、弁舌に話す必要がある国会議員になることで『発生』より『内容』に多くのエネルギーを使うことで吃音を抑制され、克服できたとされています。
主な活躍
・第2次世界大戦後は日本社会党から衆議院議員選挙に出馬し当選
・81歳まで 5期 13年の議員生活を送る
・売春防止法の制定などに尽力
姜尚中
日本の政治学者です。
東京大学名誉教授に選ばれ、熊本県立劇場館長として務めたカンさんにも吃音があります。
在日韓国人二世として生まれたカンさんですが、学生の頃はそれを隠していたようで『永野鉄男』という名で過ごしてきたそうです。
自身のアイデンティティーに悩むようになり、吃音が発症したと語っています。
現在ではどもっている様子もなく、落ち着きのある話し方をしています。
22歳頃から韓国名である『姜尚中』を名乗るようになったと言われており、これまで悩んできた多くの事を、一つずつ乗り越えてきたことが推測できます。
主な活躍と作品
1995年:『丘文化賞』を受賞
1998年:東京大学社会情報研究所助教授に就任
2004年:『在日』
2004年:東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授に就任
2006年:『姜尚中の政治学入門』『愛国の作法』
2008年:『悩む力』
2010年:『母 オモニ』
2010年:東京大学大学院情報学環教授 兼 現代韓国研究センター長に就任
2013年:聖学院大学全学教授に就任
2013年:東京大学名誉教授 に就任
2014年:聖学院大学学長に就任
2015年:聖学院大学学長を辞任
アモーリー
6代目となるエルサレム王です。
「御しがたい野心の持ち主」と称されたアモーリーは、エジプト征服に向け5度の遠征を実行したと人物です。
他人とも意思疎通がはかれないほどの酷い吃音があったとされていますが、エジプト征服の執念と追記がひとかどの人物へと導きました。
ウィンストン・チャーチル
イギリスの政治家です。
第2次大戦時のイギリスの首相です。
イギリスが生んだ『最も偉大な政治家』といわれるチャーチルさんですが、落ちこぼれの人生を長く歩んでおり、吃音に悩んでいたと言われています。
“父親に愛されたい”という思いがありましたが、勉強が嫌いで大学進学もままならない状態だったそうです。
小学校の時期のチャーチルさんは成績は振るわず、素行も悪く、病弱であったと記録されています。
そんなチャーチルさんですが、今日、世界のCEOが選ぶ尊敬するリーダーとして選ばれる理由は、やはり第2次大戦時の決断にあると言われています。
人間誰しも”脅威”であるモノには敵対したくはないものです。
それが戦争で自分の命がかかっているならなおのこと。
ヒトラー率いるナチス軍に、交渉を求められたイギリスはチャーチルさんを除く多くの責任者が交渉に応じる姿勢だったと言われており、
イギリスは戦う、交渉しない
と発言したのはチャーチルさん、ただ一人だったとされています。
自らの政治生命と信頼性をかけて戦ったと、今日でも賞賛されています。
主な暦任
1900年:庶民院議員に就任
1908年:庶民院議員に就任
1910年:内務大臣に就任
1911年:海軍大臣に就任
1924年:大蔵大臣に就任
1939年:海軍大臣に就任
1940年:首相に就任
1951年:首相に就任
ジョー・バイデン
アメリカの政治家です。
第47代の副大統領として2009年から2017年まで活躍しました。
民主党中道派を代表する大物政治家として知られているバイデンさんにも吃音があります。
幼少期から20年以上に渡って吃音に悩まされたそうで、毎日鏡に向かって詩を朗読し矯正したと言われています。
オバマ大統領と共にアメリカを牽引したバイデンさんにも吃音という共通点があることは、僕ら吃音がある者にとって、夢のある話しです。
主な暦任
1987年:司法委員長に就任
2001年:外交員長に就任
2007年:外交員長に就任
2009年:副大統領に就任
ジョージ6世
イギリスの国王です。
映画『英国王のスピーチ』でモデルになったこともあり、多くの方がジョージ6世に吃音がある事を知っています。
昔イギリスでは『吃音者こそ貴族に相応しい』とされ、吃音者が持つ並外れた感覚が評価されていました。
ジョージ6世が国王の頃の首相はウィンストン・チャーチルだったこともあり、国を牽引する両者に吃音があったというのは非常に感慨深いものがあります。
主な在位
1895年?1952年:国王(グレートブリテン、北アイルランド連合王国【イギリス】、海外自治領)
1936年?1947年:インド皇帝
1949年?1952年:イギリス連邦元首
ロベルト・ライ
ドイツの政治家です。
ドイツ労働戦線(DAF)の全国指導者となったライさんですが、第一次世界大戦の勃発時は最前線で戦争に参加しており、銃撃による負傷で、吃音と発作が発症したと言われています。
貧しい農家の出身であるものの、自然科学を学ぶ機会に恵まれ食品化学に興味を持つようになります。
大戦終結後、フランスの捕虜となってしまったものの、釈放後には論文を発表し博士号を取得しています。
その後、第2次世界大戦が勃発、アメリカ軍に捕まり自殺により生涯を終えています。
主な活躍
1932年?1945年:国家社会主義ドイツ労働者党 組織全国指導者
1933年?1945年:ドイツ労働戦線全国指導者
作家
言葉ではなく文章で表現する職業であるだけに、吃音者にとっては天職ともいえる仕事です。
ここでももちろん、多くの有名人が名を連ねており、業界を牽引してきた大物ばかりです。
僕もブログやサイトを通じて”物を書く”ということをやっていますが、自分の考えをそのまま相手に伝えられるって本当に素敵ことだと思います。
普段の会話なら”置換え”や”無意味な間”があったりするのですが、ここでは本当の自分が表現できるんですよね。
さて、以下に小説家や作家といった有名人の方々をご紹介していきます。
井上ひさし
日本の小説家です。
劇作家や放送作家としても知られています。
日本ペンクラブの会長まで務めた井上さんにも吃音があります。
5歳の時に父親が他界し、その後、旅回わりの芸人が義父となったが、虐待により吃音と円形脱毛症が発症したそうです。
家庭の都合により孤児院で過ごした経験もあり、高校では孤児院から通学をしていたそうです。
厳しい家庭環境と、孤児院での生活となりましたが、1964年から放送された『ひょっこりひょうたん島』でヒット作を生み、次々と頭角を表していきました。
主な活躍と代表作
1964年:人形劇『ひょっこりひょうたん島』
1972年:小説『手鎖心中』
1972年:岸田國士戯曲賞、芸術選奨新人賞、直木三十五賞を受賞
1973年:戯曲『藪原検校』
1980年:読売文学賞(戯曲・シナリオ部門)を受賞
1981年:小説『吉里吉里人』
1981年:日本SF大賞を受賞
1982年:読売文学賞(小説部門)、星雲賞(日本長編部門)を受賞
1986年:小説『四千万歩の男』
1991年:谷崎潤一郎賞を受賞
1994年:戯曲『父と暮せば』
1999年:小説『東京セブンローズ』
1999年:菊池寛賞を受賞
2001年:朝日賞を受賞
2003年:毎日芸術賞を受賞
2009年:日本芸術院賞・恩賜賞を受賞
大江健三郎
日本の小説家です。
日本で2番目のノーベル賞授賞者である大江さんにも吃音がありました。
高校生の時にはイジメを理由に転校をしたこともあり、逆境の環境で過ごしてきたことがプロフィールから分かりました。
大江さんの吃音に対しての発言は、あまり記録が残っていませんが、周囲からの発言は多くあります。
「大江さんの言葉はどもるからこそ意味を持ち重みがある」
作曲家の『武満徹』さんは、このようにコメントをしています。
吃音に意味があり、重みがあると思ってもらえるのは非常に嬉しいことですね。
もちろん、大江さんだからこその発言だったと思いますが、尊敬される人間になると”吃音も含めて”尊敬の対象になるものだというを知りました。
主な活躍と代表作
1957年: 『死者の奢り』を出版
1958年:『飼育』を出版
1958年:『芽むしり仔撃ち』を出版
1958年:『芥川龍之介賞』を受賞
1964年:『個人的な体験』を出版
1964年:『新潮社文学賞』を受賞
1967年: 『万延元年のフットボール』を出版
1967年:『谷崎潤一郎賞』を受賞
1973年:『洪水はわが魂に及び』を出版
1973年:『野間文芸賞』を受賞
1979年: 『同時代ゲーム』を出版
1983年:『新しい人よ眼ざめよ』を出版
1983年:『読売文学賞』、『大佛次郎賞』を受賞
1984年:『川端康成文学賞』を受賞
1987年:『懐かしい年への手紙』を出版
1990年:『伊藤整文学賞』を受賞
1993年:『燃えあがる緑の木』を出版
1994年:『ノーベル文学賞』を受賞
1995年:『朝日賞』を受賞
2000年:『取り替え子』を出版
2002年:『レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)』を受賞
尾崎士朗
日本の小説家です。
新聞連載小説『人生劇場』でヒットした尾崎さんにも吃音がありました。
吃音を克服するために”大声を出す”ことで、軽くなったと言われていますが、その一方で同じ小説家の石坂洋次郎から、「お前のどもりがうらやましい」などの発言もあったとされています。
主な作品
1933年:『人生劇場』
1940年:『成吉思汗』
1941年:『篝火』
1964年:『小説四十六年』
金鶴泳
日本の小説家です。
『冬の光』『鑿』『夏の亀裂』『石の道』の四作が芥川龍之介賞候補作として選出された金さんにも吃音がありました。
吃音とともに在日朝鮮人二世として、苦悩の人生を歩んできましたと言われています。
著書『凍える口』では金さんの20年にも及ぶ苦悩の人生が描かれており、生きるとはどういうことなのかを考えさせられる作品になっています。
吃音という悩みを抱え続け、父親の母親への暴力が絶えない家庭環境の中で、文学だけを頼りに生きてきたと語る金さんの作品を下記します。
主な作品と活躍
1966年:『凍える口』にて文藝賞受賞を受賞
1972年:『金鶴泳集』
1973年:『あるこ-るらんぷ』
1974年:『石の道』
1978年:『鑿』
1983年:『郷愁は終り、そしてわれらは』1986年:『金鶴泳作品集成』
2004年:『金鶴泳作品集』
2006年:『〈在日〉文学全集6金鶴泳』
小島信夫
日本の小説家です。
小説『吃音学院』の著者である小島さんにも吃音がありました。
この小説のモデルとなったのは自分自身であり、大阪の吃音矯正学校での経験を元に描かれたとされています。
当時の吃音矯正で行われていた実態を鮮明に表現されており、一読の価値はある作品となっています。
そんな小島さんの描いた代表作と活躍を下記します。
主な活躍
1953年:『吃音学院』
1954年: 『アメリカン・スクール』
1955年:『芥川龍之介賞』を受賞
1965年:『抱擁家族』
1965年:『谷崎潤一郎賞』を受賞
1973年:『芸術選奨』を受賞
1982年: 『別れる理由』
1982年:『日本芸術院賞』『野間文芸賞』を受賞
1981年:『日本文学大賞』を受賞
1998年:『読売文学賞』を受賞
1997年:『うるわしき日々』
2004年:『旭日重光章』を受賞
諏訪哲史
日本の小説家です。
2007年に小説『アサッテの人』にて群像新人文学賞、芥川龍之介賞を同時受賞しています。
当作品のモチーフとなったのが吃音であり、幼い頃に苦しんだ吃音の経験が受賞に一役買っています。
問題を抱える本人はもちろん、周りを取り巻く人々についてもリアルに描かれた作品です。
処女作にして大ヒット小説を書き上げた諏訪さんの活躍と代表作を下記します。
主な活躍と代表作
2007年:小説『アサッテの人』にて第50回群像新人文学賞、第137回芥川龍之介賞、平成19年度名古屋市芸術奨励賞を受賞
2008年:『りすん』
2009年:『ロンバルディア遠景』
2011年:『領土』
藤沢周平
日本の小説家です。
時代小説で多くの有名作品がある藤沢さんにも吃音がありました。
酷い吃音に悩まされた学生時代では、登下校の際にも書物を手放さなかったという程、書物に濫読していたと言われています。
中学生の頃にクラスの級長をすることになり、人前で発言するという経験によって、徐々に自信をつけていったと言われています。
『いつ、どうして治ったのかは記憶にない』と語っています。
主な活躍
1971年:『オール讀物新人賞』を受賞
1973年:『暗殺の年輪』
1973年:『直木三十五賞』を受賞
1983年:『たそがれ清兵衛』
1984年:『海鳴り』
1985年:『白き瓶』
1986年:『吉川英治文学賞』を受賞
1988年:『蝉しぐれ』
1989年:『芸術選奨』『菊池寛賞』を受賞
1994年:『朝日賞』を受賞
1995年:『紫綬褒章』を受賞
村田喜代子
日本の小説家です。
小説『渦の中』で芥川賞を受賞した田村さんにも吃音がありました。
物心がつく頃には吃音があったそうで、今も吃音の症状が出ると言われています。
子供の頃は悩んだそうですが、大人になるにつれて悩まなくなったと語っています。
主な活躍
1977年:小説『水中の声』にて第7回九州芸術祭文学賞最優秀作を受賞
1987年:小説『鍋の中』にて芥川賞を受賞
1990年:小説『白い山』にて女流文学賞を受賞
1992年:小説『真夜中の自転車』にて平林たい子文学賞を受賞
1997年:小説『蟹女』にて紫式部文学賞を受賞
1998年:小説『望潮』にて川端康成文学賞を受賞
1999年:小説『龍秘御天歌』にて芸術選奨文部大臣賞を受賞
2007年 紫綬褒章を受章
2010年小説:『故郷のわが家』にて野間文芸賞を受賞
2014年:小説『ゆうじょこう』にて読売文学賞を受賞
2016年小説『春の叙勲』にて旭日小綬章を受章
間直之助
ニホンザルの研究者です。
猿研究家の第一人者として知られ『サルになった男』の著者です。
動物学者の中ではきわめて有名であり、サルだけではなくどんな動物に対しても深い愛情を持って接していたと言われています。
間さんにも吃音があり、そのために人とのコミュニケーションがとれなかったことから、動物達へと感心が向いたそうです。
間さんの書籍は絶賛されており、代表作の『サルになった男』だけではなく、『馬の表情』では馬の生態系を説き、ダービー馬・競走馬の見方を紹介して勝馬を見抜く方法さえも教える名著であるとされています。
代表作
1996年:馬の表情
1996年:サルになった男
1983年:全集日本動物誌
1972年:サルになった男
1968年:嵐山の植物とサルの食草
1962年:嵐山ニホンザル群の動態と体重測定
1957年:お猿の動物学
1954年:馬の表情
1954年:サルの愛情:ニホンザルの生態
重松清
日本の作家です。
講談社ノンフィクション賞選考委員を務め、早稲田大学文化構想学部客員教授として活躍している重松さんにも吃音があります。
著書『きよしこ』は自身の幼少期の体験をモデルに描かれており、吃音者に最も読まれている本の一つです。
吃音関連の書籍ではネガティブなものが多い中、ファンタジー性のある仕上がりとなっています。
また2008年に公開された阿部寛主演の映画『青い鳥』の原作でも吃音をテーマにした小説を執筆し、『吃音者だからこそ本気の言葉が伝わる』という感慨深い作品になっています。
主な活躍と代表作
1999年:『エイジ』
1999年:『坪田譲治文学賞』『山本周五郎賞』を受賞
2000年:『ビタミンF』
2001年:『直木三十五賞』を受賞
2009年:『十字架』
2010年:『吉川英治文学賞』を受賞
押見修造
日本の漫画家です。
多くの作品で映像化されている押見さんですが、中学2年生の頃から吃音の症状が現れ始めたそうです。
吃音をテーマに描いた漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を発表しており、当漫画のあとがきには押見さんと吃音のエピソードが記されています。
・吃音が故に人の表情や仕草から”感情を読み取る能力が発達した
・これが漫画の登場人物の表情を書くときに生かせたのかも知らない
と吃音が漫画家として成功するのに一役買っていたとポジティブに捉え、吃音がなかったら漫画家にもなっていなかったかも知れないと語っています。
吃音によって言いたいことが言えない気持ちを漫画に爆発させてきた押見さんの代表作と活躍を下記します。
主な活躍と代表作
2002年:『ちばてつや賞ヤング部門優秀新人賞』を受賞
2003年:漫画『スーパーフライ』にてデビュー
2009年:『漂流ネットカフェ』がテレビドラマ化
2013年:『悪の華』がテレビアニメ化
2014年:『スイートプールサイド』が映画化
野坂昭如
日本の作家です。
歌手、作詞家、タレント、政治家などでも知られています。
現代でも度々放送されている『火垂るの墓』をはじめ多くの名作を生み、作家として、歌手としても、タレントしても成功を収め、政治界でも活躍した野坂さんにも吃音がありました。
1976年に放送されたサントリーのCMでは、『ソクラテスかプラトンか』というセリフを『ソ、ソ、ソクラテスかプラトンかー。』と思いっきり吃って放映され、今でもそのシーンを覚えている方は多いほどです。
他の人が真似をしても伝わらない。野坂さんだからこそ、吃りながら歌うことに意味があると賞賛されています。
主な活躍
1963年:『おもちゃのチャチャチャ』を作詞
1963年:『日本レコード大賞作詞賞』を受賞
1967年:『アメリカひじき』『火垂るの墓』
1967年:『直木三十五賞』を受賞
1985年:『講談社エッセイ賞』を受賞
1997年:『吉川英治文学賞』を受賞
2002年:『泉鏡花文学賞』を受賞
2009年:『安吾賞新潟市特別賞』を受賞
ポール・マイヤー
アメリカの自己啓発作家、教育家です。
ポールさんの開発した自己啓発プログラムでは世界80カ国以上で活用されており、高い評価を得ています。
十代の頃から大変な努力家であり、競争心に燃え、物事を必ずやり遂げる青年だったと言われています。
飽くことなく学び、成功を成し遂げた人びとを熱心に観察していたそうです。
そんなポールさんにも吃音があり、どもることと内気であるという理由から保険会社から解雇された経歴を持っています。
ポールさんの名言集には
あなたの弱点ではなく
強みに焦点をあてましょう。
あなたの問題点ではなく
どんな能力があるかが大事です。
引用元: 地球の名言
とあり、まさにそれを体現した人物です。
サマーセット・モーム
イギリスの作家、劇作家です。
小説『月と六ペンス』で有名なモームさんにも吃音がありました。
フランスのパリで生まれモームさんでしたが、両親の他界によってイギリスの養子となりました。
英語が苦手であったことに加え、吃音もあったことから迫害され、生涯のコンプレックスとなりました。
これは自伝大作『人間の絆』にて表現されています。
英語が苦手だった少年が、イギリスの文豪となるためには様々な試練があったと思います。
その経験を話す代わりに、文章に爆発させて執筆した代表作を下記します。
代表作
1915年: 『人間の絆』
1919年: 『月と六ペンス』
1930年:『お菓子とビール』
デイヴィッド・ミッチェル
イギリスの小説家です。
日本人の妻を持ち、日本を舞台にした作品を多く手掛けているミッチェルさんにも吃音があります。
2006年に発表された小説『Black Swan Green』では、自身の吃音を生かした作品となっています。
また子供の1人に自閉症があり、子供の心を理解する為の参考書籍として、東田直樹さんの『自閉症の僕が跳びはねる理由』を挙げています。
当書籍に感動したミッチェルさんは、日本人の妻と共に英語に翻訳し、イギリスでベストセラーとなっています。
主な作品
1999年:Ghostwritten
2001年:number9dream
2004年:Cloud Atlas
2006年:Black Swan Green
2007年:ナンバー9ドリーム(number9dreamの翻訳版)
2010年:The Thousand Autumns of Jacob de Zoet
2013年: クラウド・アトラス(Cloud Atlasの翻訳版)
2014年:The Bone Clocks
2015年:出島の千の秋(The Thousand Autumns of Jacob de Zoet の翻訳版)
ジョン・ホイヤー・アップダイク
アメリカの作家・詩人です。
全米三大文学賞を『金持になったウサギ』で受賞したアップダイクさんにも吃音があります。
アップダイクさんは生前、吃音がある人に対して『吃音を受け入れ、別の見方をする』ことを勧めていました。
彼自身も吃音があったら作家として成功できたという考え方をしていたそうです。
インタビューでは「話すことは心地の良いものではないが、話すことをやめてしまおうと思ったことはない」と発言しており、アップダイクさんの前向きな姿勢は、吃音者にとって見習うべきところです。
主な活躍
1963年:ケンタウロス(全米図書賞受賞作品)
1966年:『オー・ヘンリー賞』を受賞
1981年:金持になったウサギ(ピューリッツァー賞、全米図書賞、全米批評家協会賞受賞作品)
1990年:さようならウサギ(ピューリッツァー賞、全米批評家協会賞受賞作品)
1991年:『オー・ヘンリー賞』を受賞
2004年:The Early Stories(ペン/フォークナー賞受賞作品)
学者
100年前より10年前、10年前より1年前と、僕らの生活が日々豊かになっていくのは、学者達による発明品や新しいアイディア、仕組みの解明などによる影響が大きいです。
約100年前に活躍した『アインシュタイン』は、現代においても知らない者はいないでしょう。
そんな彼にも吃音があったと言われおり、学界の中にも多くの吃音者が存在し、文明の発展に寄与してきました。
ここでも聞いたことのある名前ばかりで驚くことでしょう。
江崎玲於奈
日本の物理学者です。
日本人として4人目となるノーベル賞の受賞者である江崎さんにも吃音がありました。
「吃音はノーベル賞にプラスに働いた」と語る江崎さんですが、子供の頃は酷くどもっていたそうです。
学校でのコミュニケーションが取れないほどの吃音であり、それが苦痛だったと話しています。
子供の頃からあまり話さなくても問題のないサイエンスの研究者に向いていると悟ったそうです。
主な活躍
1959年:仁科記念賞、朝日賞 を受賞
1961年:モーリス・N・リーブマン記念賞、スチュワード・バレンタイン賞を受賞
1965年:日本学士院賞 を受賞
1973年:ノーベル物理学賞 を受賞
1985年:ジェームス・C・マックグラディ新材料賞を受賞
1991年:IEEE栄誉賞 を受賞
1998年:日本国際賞を受賞
谷川徹三
日本の哲学者です。
他国の書籍『カントとジンメル』の翻訳に始まり文芸や美術、宗教、思想などの幅広い分野にて評論活動を行った谷川さんにも吃音がありました。
学生の頃から吃音の症状がみられたそうですが、大人になるにつれて症状が軽くなっていったと言われています。
法政大学総長を務めるなど、人前で話すことも多々あった谷川さん。
公演などではどもっていなかったとされていますが、家ではどもっていたと語るのは息子の『谷川俊太郎』さんです。
主な活躍
1963年:法政大学総長に選出
1967年:『叙勲二等授瑞宝章』を受章
1987年:『文化功労者』を受賞
没後:『叙勲一等授瑞宝章』を受賞
アインシュタイン
ドイツの物理学者です。
相対性理論でお馴染みのアインシュタインさんですが、彼を知らない人間が世の中にいるのかと思うほど有名な方ですよね。
そんなアインシュタインさんにも吃音があったといわれており、吃音は天才病だと言われる由縁には彼の存在が大きいでしょう。
アインシュタインさんに吃音があったことは有名な話しですが、そのエピソードはあまり語られていません。
しかし『HSP(感受性が非常に強いこと)』だったとも言われており、吃音者の9割はHSPであることからも、その信憑性を高めています。
また幼少期の頃に、言葉を出すのに時間がかかっていたとも言われています。
主な活躍
1905年:特殊相対性理論を発表
1915年:一般相対性理論を発表
1920年:バーナード・メダル
1921年:ノーベル物理学賞
1921年:マテウチ・メダル
1925年:コプリ・メダル
1926年:王立天文学会ゴールドメダル
1929年:マックス・プランク・メダル
チャールズ・ロバート・ダーウィン
イギリスの自然学者です。
NHKのテレビ番組『ダーウィンが来た!』でお馴染みのダーウィンさんにも吃音がありました。また祖父(Erasmus Darwin)にも吃音があったと言われています。
現代生物学の基盤をなしているダーウィンさんの科学的な発見が讃えられ、山や土地の名前に彼の名前を使われることもあります。
そんなダーウィンさんの活躍を下記します。
主な活躍
1834年:アンデス山脈の一角を『ダーウィン山』と名付けられる
1853年:ロイヤル・メダル
1859年:著書『種の起源』を発表
1859年:ウォラストン・メダル
1864年:コプリ・メダル
1991年:パーマストン入植地が『ダーウィン』と改名される
2002年:BBCが行った『100名の最も偉大な英国人』にて第4位に選出
アラン・マシスン・チューリング
イギリスの数学、論理、暗号解読、コンピュータ科学の分野で活躍した学者です。
コンピュータ科学、人工知能の父と呼ばれているチューリングさんにも吃音がありました。
チューリングさんは吃音よりも同性愛者として取り上げられていることが多く、当時の偏見は悲惨なもので”犯罪者”としての扱いを受けました。
死後2009年、作家である『ゴードン・ブラウン』さんの呼びかけにより”同性愛で告発したことへ謝罪するよう請願活動”にて数千の署名を集め、イギリス首相のゴードン・ブラウンはこの願を認めた後、政府として正式な謝罪を表明しました。
主な活躍
1936年:『停止性問題』の証明
1939年:『チューリングマシーン』の論文を発表
1946年:ACE (コンピュータ)を開発
1950年:『チューリング・テスト』の論文発表
1952年:『チューリング・パターン』を発表
1966年:『チューリング賞』の始まり
・大英帝国勲章
・王立協会フェロー
ルイス・キャロル
イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人です。
『不思議の国のアリス』の作者として有名なキャロルさんにも吃音があります。
吃音のことを『ためらい』と名付けており、幼少期から生涯に渡り悩んでいたとされています。
『不思議の国のアリス』には発音しにくい彼のラスト・ネームをもじった「ドードー」として、自分自身を戯画化しています。
現代においても人気のある『不思議の国のアリス』に、実は吃音と関わりがあったなんて驚きですよね。
代表作
1865年:『不思議の国のアリス』が出版
1871年:『鏡の国のアリス』が出版
1876年:『スナーク狩り』が出版
1886年:『シルヴィーとブルーノ』を出版
アイザック・ニュートン
イングランドの自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、神学者です。
ニュートン力学の確立や、微積分法の発見などによる功績によって、度々教科書に出てくるニュートン。
このニュートンにも吃音があったいう声が、多くのメディアからあがっています。
アインシュタインの時も思いましたが、あまり吃音に関するエピソードが残っていない場合、半ば強引に天才と吃音を結びつけているのではないかと感じます。
それだけ”天才には吃音があった”という事例が多く有り、吃音の一つの特徴を彩っていると感じます。
実業家
実業家として成功した有名人の中にも吃音がある方は多くいます。
ここで取り上げている人はほんの一握りで、実際にはもっと多くの吃音者が社会の中で成功を収めています。
吃音者は人工の1%しかいないと言われていますが、社会のトップには1%を遥かに上回る割合で存在すると言われています。
それでは、事業を通じて才能を開花させた有名人をご紹介していきます。
坪内寿夫
日本の実業家です。
倒産寸前の会社をいくつも再建させ、『四国の大将』と称された坪内さんにも吃音があります。
人前では話せないほど、酷いどもりだったと若い頃を振り返っています。
話しをするのに人の3倍は時間がかかったそうですが、物凄い努力家として知られ、『吃って話す言葉に説得力があった』とも言われています。
主な活躍
1953年:來島船渠(くるしませんきょ)株式會社(現新来島どっく)社長に就任
1978年:佐世保重工業の社長に就任
1992年:勲二等瑞宝章受章
梁瀬次郎
日本の実業家です。
株式会社ヤナセの社長で、アメリカ車の販売に寄与したとして、本田宗一郎や豊田英二らに続く5人目の米国自動車殿堂入りを果たした梁瀬さんにも吃音があります。
幼少期から吃音に加え、病弱だったこともあり『株式会社ヤナセ』の創業者である父から”出来損ない”のレッテルを貼られていました。
梁瀬さんの半生は「父太郎に対する反発と抵抗の歴史」と語っている通り、逆境を乗り越えて成功を掴んだ人物です。
主な活躍
1945年:梁瀬自動車工業社長に就任
1985年:梁瀬自動車工業会長に就任
2004年:米国自動車殿堂入り
白洲次郎
日本の実業家です。
貿易庁の長官、東北電力の会長など多くの日本企業の役員を歴任した白洲さんにも吃音がありました。
孫である白州信哉さんは「白洲次郎は、英語の方が話しやすいと言っていた」と語っています。
言語に問わず吃音の症状は人口の1%だと言われていますが、人によって言語の中で差があるのかもしれません。
僕は日本語しか話せないので、それを実感することはできませんが。
主な活躍
1931年:セール・フレイザー商会の取締役に就任
1937年:日本食糧工業(後の日本水産)取締役に就任
1942年:帝国水産理事に就任
1945年:終戦連絡事務局参与に就任
1946年:終戦連絡事務局次長に就任
1948年:貿易庁長官に就任
1949年:通商産業省を設立
1952年:軽井沢ゴルフ倶楽部理事長に就任
ティム・ガン
アメリカのファッションコンサルタント、テレビパーソナリティです。
パーソンズ美術大学のファッションデザイン学科の学部長を務めたガンさんにも吃音がありました。
幼少期から吃音はみられ、学校生活においては”からかわれる”などして苦しんだと語っています。
吃音をかかえたことで、反社会的で、反抗的で、学校が大っ嫌い、チームでやるスポーツは特に嫌で、仮病を頻繁に使っていたと話します。
ガンさんは、集中スピーチセラピーに通ったことで吃音を克服したと公言しています。
主な活躍
2000年:パーソンズ美術大学ファッションデザイン学科の学部長に就任
2004年:『プロジェクト・ランウェイ』に出演
2007年:リアリティ番組『Style up スタイルアップ ?ティム・ガンのファッション チェック』にてファッションアドバイザーとして活躍
2007年:Claiborne社のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任
クララ・バートン
アメリカの実業家です。
アメリカ赤十字社の創設者として活躍したバートンさんにも吃音があります。
子供の頃は非常に内気な性格だったとされ、ナンシーフィックスさんが唯一の友人だったそうです。
当時は女性が社会で活躍することへの偏見が強く、フリースクール『Bordentown』の立ち上げに成功したものの、教育委員会から選出された男性に校長の地位を奪われることとなりました。
神経衰弱と健康疾患で辞めるまで過酷な環境で働いたと言われています。
南北戦争では常に死と隣合わせの戦場最前線で働き、『アメリカン ナイチンゲール』や『戦場の天使』と称されました。
主な活躍
1852年:フリースクール『Bordentown』を設立
1855年:米国特許庁の書記官に就任
1864年:ジェームズ軍の前線の病院の「女性責任者」に任命
1873年:アメリカに赤十字を設立
1881年:アメリカ赤十字社の会長に就任
ジャック・ウェルチ
アメリカの実業家です。
1981年?2001年にゼネラル・エレクトリック社の最高経営責任者を務め、1999年にはフォーチュン誌による”20世紀最高の経営者”に選ばれています。
少年時代は吃音に悩まされたようですが、母親からは『言葉に障害があるんじゃない、頭の回転が速すぎるだけ』とのフォローによって立ち直れたと語っています。
この一言がなかったら、自信をなくしていたかもしれないと言葉が続いています。
主な活躍
1972年:副社長
1977年:上席副社長
1979年:副会長
1981年:会長兼最高経営責任者
1999年:20世紀最高の経営者(フォーチュン誌)に選出
リチャード・ブランソン
イギリスの実業家です。
コングロマリットや航空会社のヴァージン・グループの創設者であり会長を務めています。
音楽産業や航空産業、携帯電話事業、飲料水事業、映画館運営、バス会社、鉄道や金融といった多岐にわたる分野にて成功を収めています。
グループ全体で22カ国、25,000人の従業員を擁する規模にまで成長させています。
2000年には、事業の成功による雇用創出と外貨獲得によるイギリス経済への貢献により、エリザベス女王から「ナイト」の称号を獲得しています。
そんなブランソンさんですが、少年時代には知的能力や理解能力に異常がないにもかかわらず、文字の読み書きに困難を抱える知的障害があったそうです。
その影響からか、吃音もあったとも言われています。
歴史上の人物
歴史の教科書に載るような人物にも、吃音があったという記録は残っています。
学校の授業では語られない、知られざる偉人と吃音のエピソードをまとめました。
誰でも一度は聞いたことのある名前ばかりで、驚くことでしょう。
岩佐又兵衛
江戸時代初期の絵師です。
織田信長の息子・織田信雄に近習小姓役として仕え、文芸や画業などの諸芸をもって主君に仕える御伽衆のような存在だったとされる又兵衛さんにも吃音があります。
『吃の又兵衛』とも呼ばれていたとの一説もあります。
田中康政
筑後国初代国主として安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将です。
父である吉政の関ヶ原の戦いでの功績により、3万石を与えられ康政が城主として入りました。
しかし吃音や病身、虚弱の康政に代わって、世嗣となっていた弟の忠政が家督を継いだとされています。
徳川家康
日本人なら誰もが知っている江戸幕府を開いた初代将軍です。
そんな家康にも吃音があったとされ、特に戦さ中の伝令では酷くどもっていたと言われています。
『鳴くまで待とうホトトギス』で有名な家康ですが、ただ待つのではなく観察眼が優れていたと言われています。
戦さの強い武田信玄や、頭のキレる豊臣秀吉、カリスマ性のある織田信長と渡り合い、トップに君臨することができた要因が、この観察眼のおかげです。
吃音者は感受性が高いことから、些細な変化も読み取ることが得意だと言われていることからも、家康が吃音持ちだった信憑性を高めています。
主な活躍
1560年(18歳):『桶狭間の戦い』にて今川家から独立
1562年(20歳):織田信長と同盟を結ぶ
1566年(24歳):名前を「徳川家康」と改める
1582年(40歳):『本能寺の変』にて同盟の織田信長が死去
1584年(42歳):『小牧・長久手の戦い』
1586年(44歳):豊臣秀吉の家来となる
1590年(48歳):豊臣秀吉が天下統一
1598年(56歳):豊臣政権の元で五大老に就任
1600年(58歳):『関ヶ原の戦い』で事実上の天下人
1603年(61歳):征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く
1615年(74歳):『大阪夏の陣』にて豊臣家を滅す
徳川家光
徳川幕府の第3代将軍です。
初代将軍の家康同様に吃音があったと言われています。
家康の場合には戦さの時にどもっていたとされているが、家光の場合には常にどもりがあったと言われています。
また子供の頃は病弱で内気な性格だったのに対して、弟の国松は利発的な性格だったこともあり、両親の愛情は国松に偏りがちだったそうです。
そんな病弱、内気、吃音のある家光でしたが、乳母である春日局の支えもあり3代目将軍に任命され、『世は生れながらの将軍である』と発言し、その言葉通り、まだ不安定だった徳川幕府の基盤を固めました。
主な活躍
1620年(17歳)元服(げんぷく)し家光と名乗る。
1623年(20歳)江戸幕府3代将軍となる 。鷹司信房の娘の孝子と結婚。
1635年(32歳)「 武家諸法度 」の改訂で参勤交代を義務付ける。
1641年(38歳)オランダ商館を出島へ移し「鎖国体制」が完成する
徳川家重
江戸幕府の第9代の将軍です。
徳川家には代々吃音持ちの家系であることは有名な話です。
家康・家光に続き家重にも吃音があったと言われる一方で、脳に障害があり言語に不明瞭かあったとも言われています。
“無能な将軍”との評価が多い中で、優秀な幕臣を見出すことから”人事能力は優れている”や”隠れた名君である”と井沢元彦は評価しています。
さらには甲斐素直からも、障害があっても頭脳は怜悧で強力なリーダーシップで政治実権を握った将軍だと語っています。
源頼朝
鎌倉幕府の初代征夷大将軍であり、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・政治家です。
義務教育として習うため、日本人なら誰でも”源頼朝”の名を知っていますが、意外にも吃音だったことはあまり知られていません。
具体的な吃音に関するエピソードの掲載は、インターネットには紹介されていませが、吃音研究のシンポジウムなどで紹介されることがあるようです。
藤沢長達
江戸時代中期の儒学者、医師です。
幼い頃に片目を失い、同時に吃音も発症したと言われています。
医学や古文辞学を学び、1730年(27歳)に産物調査書『佐州図上』を編集しました。
この頃より歴史に残るような活躍が増え、『重修菅廟記』や『佐渡島採薬譜』などに携わっています。
主な活躍
1730年:産物調査書『佐州図上』を編集
1731年:佐渡陣屋付医員となる
1733年:『重修菅廟記』を寄せた
1737年:『佐渡島採薬譜』を編集
1764年:『朝鮮制述官三書記医官に寄す』を寄せた
韓非
中国戦国時代の思想家です。
法家の代表的な人物として有名な韓非さんにも吃音がありました。
生まれつき重度の吃音があったとされ、周りからは『吃非』と呼ばれ見下されていたそうです。
しかし文才に長けていたことから、書を認めることで、自分の考えを説明する様になったと言い伝えられています。
アリストテレス
古代ギリシアの哲学者です。
『西洋最大の哲学者』の一人とされるアリストテレスは、多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれ、特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ないとされています。
イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えました。
そんなアリストテレスにも吃音があったと言われています。
イソップ
イソップ寓話の作者として知られる作家です。
紀元前に活躍したとされ、記録があまり残っていないことから半ば伝説の人物とされています。
サモスの市民イアドモンの奴隷だったそうですが、吃音があったものの語りに長けていたことから解放されたと言い伝えられています。
解放後、寓話の語り手として各地を巡りましたが、それを妬まれることもありデルポイの市民に殺されたと記録されています。
デモステネス
古代ギリシアの政治家・弁論家です。
1人海に向かって声を上げ、荒波の音に負けないようにと発生訓練をしていたと言われています。
ひとりで発声訓練をして克服したと記録が残っているようですが、”国を思う気持ち”と失敗しても挫けず演説を繰り返したことで雄弁家となったのではないかとも言われています。
滑らかに話すことが出来ない人が、デモステネスのような雄弁な人にあこがれる心理を、『デモステネス・コンプレク』スと表現されています。
モーゼ
古代イスラエルの民族指導者です。
神の目に適った美しい子とされ、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人とされています。
そんなモーゼにも吃音があったと言われています。
旧約聖書『出エジプト記』では「私は口が重く、舌が重いのです」との記録が残っており、これは吃音があったということを意味していると言います。
聖人として崇められ想像すらできない存在であるモーゼですが、吃音があったということにより、その存在が少なからず身近に感じられます
テュレンヌ
ブルボン朝フランスの軍人です。
あのナポレオンも『フランス最高の将軍』と認めるフランス大元帥6人のうちの1人であるテュレンヌにも吃音があったと言われています。
子供の頃は吃音に加え、虚弱体質だったと言われており英雄とは真逆の存在だったと言われています。
しかし努力によって一歩一歩確実に成長する姿を、ナポレオンは『年をとるごとに天才ぶりが増していく』と語ったと言われています。
一方で、生涯に渡って吃音は治らなかったと言われています。
廃帝 (北斉)
北朝北斉の第2代皇帝です。
父親である文宣帝の命令に反き激怒され、鞭打ちによる罰によって、吃音になったと記録されています。
その命令とは”囚人を斬る”ことだったと言われています。
ジョー・プライス
江戸時代の日本絵画を対象にコレクションを集めるアメリカの美術蒐集家です。
ニューヨークの古美術店で伊藤若冲『葡萄図』に感銘を受け、自らの審美眼を頼りに蒐集を続けたプライスさんにも吃音がありました。
幼少期は父に厳格に育てられたと語っています。
一方で田舎暮しでおおらかな環境だったこともあり、吃音があっても特別困ったことは無かったといいます。
主な受賞
2006年:国際交流基金賞
2015年:京都府文化賞特別功労賞
2017年:水田三喜男記念国際賞
ナポレオン
フランス革命期の軍人・政治家です。
1814?1815年にはフランス第一帝政の皇帝にも即位しています。
フランス革命期を代表するナポレオンですが、少年時代は無口で友達が少なかったとされています。
またてんかんや癇癪(かんしゃく)持ちで、短気で喧嘩っ早い性格に加え、吃音もあったと言われています。
ナポレオンのてんかん症状をイタリアの学者であるチェーザレ・ロンブローゾが指摘し、自身の著書『天才論』にて天才とてんかんとの関連性を説いています。
“天才と狂人は紙一重”という言葉は、ここから生まれたと言われています。
主な活躍
1793年:コルシカからフランスに亡命
1793年:砲兵隊の指揮官に任命
1796年:イタリア遠征軍の司令官
1798年:エジプトに遠征
1804年:フランス第一帝政の皇帝
1812年:ロシア遠征の失敗
1813年:ライプチヒの戦いの敗北
1814年年:エルバ島に流された
鄧艾
中国後漢末期から三国時代の魏の将軍です。
内政や軍事に問わず、多くの功績を残したことで知られる鄧艾(トウガイ)さんにも吃音があったと言われています。
才能はあったのですが、吃音によって周囲からかわれるなどして、なかなか出世できずにいたと言われています。
しかし黙々と実績を重ね、地道に出世を果たしていくと、魏の実力者である司馬懿の目に留まったとされています。
その他
吃音がある有名人はまだまだいます。
各業界に散らばった、吃音があっても偉業を成した人達をまとめました。
竹居安五郎
日本の侠客です。
吃音があることから『竹居の吃安』と称され、甲州博徒の一人として知られています。
水森亜土
日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家と万能にこなす人物として知られています。
左利きを矯正された経験があり、そのストレスによって吃音になったと語っています。
水森さんといえば両手で絵を描くことで有名ですが、幼い頃に矯正された嫌な思い出を、逆に糧にしたことで成功しています。
イラストレーターとして成功していますし、歌の世界でもヒット曲を生み出し、女優や作家としても活動する姿は、『吃音は天才病』の体現者であるといえます。
主な活躍
1969年:アニメ「ひみつのアッコちゃん」のエンディング「すきすきソング」で注目される
1970年代にNHKのテレビ番組「たのしいきょうしつ」に出演。透明なアクリルボードに歌いながら両手でイラストを描くパフォーマンスでブレイク
1981年:アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」のオープニング・エンディング曲を歌い大ヒット
田辺一鶴
日本の講談師です。
日本では東京オリンピックに参加する全ての国を読み上げる『東京オリンピック』でブレイクし、ロサンゼルスの公演では『イチロー物語』で高い評価を得ています。
幼い頃から重度の吃音に悩まされたと語る田辺さんですが、小学生の頃に参加したどもり矯正教室では重度のクラスに割り振られたそうです。
上記のように色々な矯正方法を模索するも、吃音は一向に改善しなかったと語ってきます。
その中で吃音を克服するために講談学校に入学し、師匠である田辺南鶴さんの弟子となります。
努力とは裏腹に、後輩にどんどん追い抜かれたそうですが、必死にしがみついたそうです。
『吃音者である私は、攻めて攻めて攻めまくるしかない』と公言しており、逆境を見事にひっくり返した人物です。
主な講談
・東京オリンピック
・イチロー物語
・高橋尚子物語
・水木しげる物語
大杉栄
日本の思想家、作家、ジャーナリスト、社会運動家です。
明治や大正期に活動したアナキストで、調和的な社会結合を目指す政治思想家として有名な大杉さんにも吃音があったと言われています。
家族にさえ聞き取れないほどの重度の吃音だったようで、生涯悩み続けたと言われています。
吃音者特有の『言い換え』や『回避』によって、周囲からは”ひねくれ者”とのレッテルを貼られたそうです。
アナキストという観点からは賛否両論あると思いますが、吃音があっても揺るぎない行動力を持つことで、周りの人を動かすことはできるのだと実証した人物です。
先崎学
日本の将棋棋士です。
“羽生世代”の一人として活躍した先崎さんにも吃音があったと言われています。
幼い頃は吃音に悩んでいたと語っていますが、田中角栄さんが『浪曲を歌って克服した』という話しを聞き、実践してみたところ治ったと公言しています。
このことより、田中角栄さんは恩人であると語っています。
主な活躍
1990年:NHK杯にて優勝
1991年:若獅子戦にて優勝
1991年:NHK将棋講座『先崎学のまかせて!基礎体力アップ』に出演
1995年:NHK将棋講座『先崎学のすぐわかる現代将棋』に出演
2009年:テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』に出演
扇谷正造
日本の評論家、編集者、ジャーナリストです。
“週刊誌の鬼”の異名を持つ扇谷さんにも吃音がありました。
中学生の頃からどもりが始まったと言われており、ゆっくり話すように心掛けたと語っています。
取材や編集、スピーチなどを積極的に行い、場数を踏むことで吃音を克服したそうです。
『週刊朝日』の編集長に就任し、太宰特集号を発行するとたちまち完売し、同誌を10万部から150万部に伸ばしました。
大宅壮一さんからは、「文春の池島、暮しの手帖の花森と並ぶ戦後マスコミの三羽烏」として賞賛されました。
主な活躍
1947年:『週刊朝日』編集長に就任
1948年:『太宰特集号』を発行
1953年:菊池寛賞を受賞
1970年代:座談テレビ番組『春夏秋冬』にて司会を担当
中坊公平
日本の弁護士です。
『平成の鬼平』との異名を持つ、戦後日本を代表する弁護士である中坊さんにも吃音がありました。
友人の結婚式のスピーチでは、場を白けさせてしまい「弁護士なのに弁が立たない」と言われたそうです。
また口述試験の際には、上手く話せないことから試験管に笑われたと語っています。
そんな逆境にも臆することなく、前を向き続けたことで日本弁護士連合会の会長にまで上り詰め、整理回収機構の初代会長を詰めるまでになりました。
主な活躍
1970年:大阪弁護士会の副会長に就任
1990年:日本弁護士連合会の会長に就任
1996年:住宅金融債権管理機構の社長に就任
1999年:整理回収機構の社長に就任
1999年:司法制度改革審議会の委員に就任
2000年:小渕恵三首相から内閣特別顧問に任命
平野レミ
日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手です。
シャンソン歌手としてデビューした後、タレントとしても成功し、今では日本を代表する料理愛好家として活躍している平野さんにも吃音がありました。
平野さんと吃音に関するエピソードは、あまり記録が残っていないのですが、子供の頃に吃音があったと言われています。
そんな言葉のハンデがあったとは思わせないほど、明るく元気なイメージが強い平野さん。
息をつく間もないほどに、早口でしゃべっていますよね。
自由奔放な行動と、奇想天外な料理のアイディアから、『生きる放送事故』との異名を持っています。
石井漠
日本の舞踊家、ダンサーです。
吃音がある友人の口真似をしているうちに、自分自身も吃音になってしまったと語っています。
吃音矯正のため伊沢修二の楽石社に通った経験もありますが、改善する兆しはなく、吃音は生涯治らなかったそうです。
ヨーロッパやアメリカに渡り、現代舞踊を研究したことで、「モダン・ダンス」の先覚者として注目を集めます。
作曲家『山田耕筰』さんらと舞踊詩運動を起こすし、日本人にとっての新しい舞踊という境地を大きく切り拓いた人物として知られています。
武満徹
日本の現代音楽家、作曲家です。
日本の代表する現代音楽家の武満さんにも吃音がありました。
武満さんはエッセイ『吃音宣言』を出版しており、自身に吃音があることを公言しています。
かつて人間の発生行動は全身でなされていた。
脆弱な論理に従って口先だけでなされるようになってからは、音楽も詩もつまらなくなってしまった。
と語っており、言葉に対する強い想いを持っていることが分かります。
それは吃音者だからこそ、より一層、強くさせていると思います。
主な活躍
1976年:第24回尾高賞を受賞
1980年:日本芸術院賞を受賞
1981年:モービル音楽賞を受賞
1985年:朝日賞を受賞
1985年:芸術文化勲章を受章
1990年:モーリス・ラヴェル賞を受賞
1991年:サントリー音楽賞を受賞
1994年:NHK放送文化賞を受賞
1996年:グレン・グールド賞を受賞
西部邁
日本の評論家、経済学者です。
18歳まで重度の吃音があったそうで、ほとんど何も喋らない生活を送っていたと語っています。
バイロン・ピッツ
アメリカのジャーナリストです。
ABC newsの編集者でもあります。
ピッツさんは母子家庭の労働者階級の地区で育っており、吃音にも悩まされたと言われています。
大学ではジャーナリズムに加え、スピーチコミュニケーションの学位を取得しています。
吃音がありながらも、逆境の世界に飛び込み、精通できるまでに努力を重ねたピッツさんだからこそ、彼の言葉には力があるのだと思います。
カーミット・ビーハン
アメリカの軍人です。
1945年8月6日、広島の原爆投下作戦では観測機B-29グレート・アーティストに搭乗し、人類初の実戦における核兵器投下の光景を目撃します。
続く8月9日、長崎原爆投下作戦の原爆搭載機B-29ボックスカーの爆撃手として、人類最後の実戦における核兵器投下を行いました。
彼は第二次世界大戦によって、吃音を発症したとされています。