日本で最も吃音に貢献している人物といえば、僕は真っ先に『伊藤伸二』という名を思い浮かべます。
日本最大規模の自助グループ『言友会』を創設し、ことばの相談室を運営、吃音サマーキャンプでは多くの子どもに居場所を作るなどその功績を挙げ始めたらキリがありません。
伊藤伸二さんの活動は日本だけに留まらず、吃音世界大会を世界で初めて開催し、国際吃音連盟の理事を任されるなど世界的にも知名度があります。
吃音と音楽を融合し一世風靡したミュージシャン『スキャットマン・ジョン』とも親交があったといいます。
伊藤伸二さんは多くの書籍を出版しており、その中にはスキャットマン・ジョンとのエピソードが書かれています。
当記事では、そんな伊藤伸二さんをご紹介したいと思います。
伊藤伸二さんのプロフィール
- 画像
- 生年
- 1944年
- 出身地
- 奈良県
伊藤伸二さんは3歳頃から吃音の症状が現れ始めましたが、小学生1年の通知表には『元気で、大きな声で返事ができることクラス一番』と書かれるほど明るい性格でした。
変化があったのは小学生2年生の秋、楽しみにしていた学芸会 浦島太郎の劇にて、セリフのある役から外されるということがありました。
先生は「どもる伊藤くんにセリフがあるのはかわいそうだ」と配慮してくれたのかもしれないが、これがとてもショックだったといいます。
この出来事からに吃音をマイナスに意識するようになってしまいます。
発表や朗読ができなくなってしまうばかりか、友達に話しかけることすらできなくなっていきました。
中学校・高校と進級するもどもりを気にし、周りの目を気にし、『どもりを治したい』ということばかりを考えていました。
『どもりが治ってからが本当の自分』だと考えるようになってしまい、勉強もしない、友達とも遊ばない子どもだったと当時を振り返っています。
1965年21歳の夏、『どもりは必ず治る』と宣伝していた東京正生学院に通い始めました。
その訓練内容は上野公園の西郷隆盛の銅像の前や山手線の電車の中で大きな声を出すといったものでした。
毎日続く厳しい訓練でしたが、4ヶ月間一生懸命に取り組みました。
一緒に訓練した仲間は300人ほどいたそうですが、そのただ一人も治ったという話しはなかったそうです。
普通なら心が折れてしまうような出来事ですが、伊藤伸二さんは次のように語ります。
『仲間ができたこと、話しを聞いてもらえたことを通じて、話す楽しさを知りました。またどもるという事実を認めることができた。』
同年秋、仲間との別れを惜しんで『どもる人の会』を作り、リーダーとして会の運営をするようになります。
現在、日本最大規模となった『言友会』はこのように発足しました。
東京正生学院に通ったことは伊藤伸二さんの人生において、大きな分岐点となり、本来の明るさを取り戻していきます。
どもる事実を認めたことで、これまで蔑ろにしきた多くのことに挑戦するようになりました。
その中でもどもりに関する勉強はとても楽しく、大阪教育大学で学び、その後 同大学の先生として働きました。
大学を辞めてカレー専門店を10年経営した後、ことばの相談室を開きます。
1986年、大会実行委員として世界で初となる吃音の世界大会を開くことに成功し、国際吃音連盟を設立しました。
現在においても、日本吃音臨床研究会でニュースレターや吃音研究誌の発行、大学などでの講義、自助グループへの参加などライフワークとして活動を続けています。
スキャットマン・ジョンと交流について
スキャッマン・ジョンといえば吃音をモチーフとした独特な楽曲で一世風靡したミュージシャンです。
スキャットマン・ジョン氏と伊藤伸二さんは両者が活動していた国際吃音連盟を通じて親しくなりました。
スキャットマン・ジョン氏は52歳まで吃音に悩み、CDを出す時に妻からの一言によって吃音を認めることができました。
CDのジャケットには「私の最大の弱点だったどもりが、最大の財産になった」と書かれています。
世界的な活躍により有名なテレビ番組に出演する際、どもりを世界の人に知ってもらえるチャンスだと張り切り、どもっている自分の姿を表現しようと考えていました。
しかし司会からはまともな質問がなく、発言する機会に恵まれませんでした。
スキャットマン・ジョン氏は「もっと強気に、質問されなくても発言すればよかった」と伊藤伸二さんに謝りのメールを送ったといいます。
伊藤伸二さんは「強引に、言葉で説明するより、吃音に悩んだからこそ生み出された、優しさ、温かさ、誠実さなどの豊かな人間性が、テレビ画面で表現されたことのほうがすてきだ」とメールを返信し、すっかり落ち込んでいたスキャットマン・ジョン氏は、とても喜んでいたと自身の書籍に綴っています。
伊藤伸二さんの吃音の考え方
上記したように伊藤伸二さんにとって東京正生学院に通ったことは、大きな分岐点となっています。
『どもりは必ず治る』と宣伝していただけに、期待も大きく一生懸命取り組みました。
しかし、結果的に300人の受講生全員が治らないという現実がそこにはありました。
『一生懸命努力しても治らなかったのだから仕方がない』とあきらめがついたのだと話します。
これまではどもっている自分は何かの間違いで、どうにかしてどもりを治したいと考えていました。
どもりが治った自分が本当の自分だ。
そう考えてしまうと、どもりを治すことだけに意識が向いてしまうと、「吃音が治った~しよう」という思考になってしまう。
伊藤伸二さんは『治ることを目標にして、治す努力をしていては、自分の人生は見出せない』と強調します。
東京正生学院での一件であきらめがついたことで、伊藤伸二さんは初めて吃音を認めたのです。
東京正生学院の副院長が話していたアメリカ言語病理学の教え『どもってもしゃべろう』が心の支えとなり、治らないのであればどもりながらでも話しをすることを決意したといいます。
吃音を認め、吃音を生きることを覚悟する。
これを伊藤伸二さんは『ゼロの地点に立つ』という言葉を使います。
プラスでもマイナスでもないゼロの地点。どもりがある僕たちにとってのスタートラインになります。
どもりがある多くの人は、幼少期に症状が現れはじめ、思春期を迎える頃にはとても辛い経験をします。
そんな経験から「こんな、どもる症状と周りの環境は一生続く」と思いがちです。
でも伊藤伸二さんは『変わる』と強く主張しています。
どもり自体を直接変えることはできないが、行動や考え方を変えていけば、皆が潜在的に持っている自己変化力が働くというのです。
例えば仕事を選ぶとき、話す機会が少ないより、多いと予想する仕事を選ぶ方が有利。
話すことから逃げられないため、困難な場面に直面することが多くなり、結果としてどもりと生きる姿勢が早く育つのです。
僕の経験からしても納得のできる話しです。
僕は話す機会が少ないと思った機会設計の仕事に就きました。
しかし、蓋を開けてみると毎週の様に自分の設計した内容を20人から30人の前でプレゼンするといった仕事内容でした。
初めは酷いプレゼンの連続でしたが、7年経った今では若手にプレゼンのやり方を教えています。
僕の吃音も『変わった』のです。
伊藤伸二さんのお勧め書籍
ここでは是非ともお勧めしたい伊藤伸二さんの書籍をご紹介します。
どもる君へ
当書籍は小学生や中学生へ向けたメッセージが凄く込められている一冊です。
これまで数多くの書籍を書いてきた伊藤伸二さんですが「こんな書籍が書きたかった」と渾身の出来となっています。
文章はまるで伊藤伸二さんが直接語りかけてくるかの様に描かれ、どんどん引き込まれていきます。
小学生や中学生に向けた書籍なので、難しい言葉は使わず、粉々になるまで噛み砕いた話しをしています。
僕は30歳を過ぎて読みましたが、大人の吃音者が読んでも得るものがあります。
是非ともご覧下さい。
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吃音ワークブック
当書籍 僕としては吃音がある子どもを持つ親に見てもらいたいと思っています。
今は吃音に対してオープンであることが求められています。
とはいえ、吃音の話しを子どもに聞いてみたところで、嫌な話しはなかなかしたくないもの。
なかなか子どもの深層心理を探ることはできません。
そんな時、当書籍を参考に『子どもと一緒に吃音について学ぶ』ことをしてみてはいかがでしょうか?
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編集後記:スキャットマンズ ワールドの制作秘話
日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を飾るメジャーデビューアルバム『スキャットマンズ ワールド』の逸話について、伊藤伸二さんの書籍『吃音ワークブック』にて紹介されていました。
スキャットマン・ジョン氏の幼少期は唯一の友達がピアノだったそうで、誰とも話しをしない生活を送っていたそうです。
それは大人になってからも変わらず、ホテルやカフェなどでジャズバンドのピアノを演奏を仕事にしていたものの、話しかけられるのを恐れてビクビクしながら目立たないように弾いていました。
そんな生活からお酒に逃げるようになりアルコール依存症を患い、時には薬物にも手を出しました。
スキャットマン・ジョン氏を救ったのはアルコール依存症のヘルプ・セルフグループ『AA(アルコホーリクス・アノニマス)』で、ここではまず自分がアルコール依存症であることを認めるということから始め、アルコールは無力だという12のステップを踏む中で回復していきました。
スキャットマン・ジョン氏はアルコール依存症を克服した方法を吃音にも当てはめてみたものの、どもることについては認めることができませんでした。
そんな彼の元に1994年、スキャットラップをレコーディングする話しが舞い込んできましたが、素直に喜ぶことはできませんでした。
「ラジオ?テレビ?インタビュー?」考えただけでパニックに陥り、恐怖がどんどん大きくなる一方。
そんな彼に「逃げも隠れもせずにヴェールを脱いで、世間に自分の吃音について公表をしたら」と妻は、厳しくも愛のある言葉を贈ります。
この一言で、これからレコーディングする歌の詩に、自分の吃音について書くことを決意したそうです。