60歳を過ぎて尚、美しさをキープする秋野暢子さん(以降 敬称略)。女優にタレントにコンメンテーターに、その人気は衰えることを知りません。
そんな秋野ですが、幼い頃はいじめられっ子だったといいます。
人と話すのが苦手で、吃音と赤面症に悩んでいた過去があります。今ではテレビの中で流暢に言葉を話す姿からは想像もできません。
秋野が吃音とどんな人生を歩んできたのか紐解いていきたいと思います。
秋野暢子のプロフィール
- 画像
- 職業
- 女優
- 生年月日
- 1957年1月18日
- 出身
- 大阪府
1974年 NHK銀河テレビ小説『おおさか・三月・三年』にて女優デビュー
1975年 NHK連続テレビ小説『おはようさん』のヒロインに抜擢
1976年 TBS『赤い運命』では山口百恵さんと共演
1977年 「愛はみなし児」にて歌手デビュー
1983年 TBSテレビのプロデューサー田代冬彦さんと結婚
1986年 映画『片翼だけの天使』で第60回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞
2001年 離婚
2002年 青春出版社より『たるまない女。になる―からだと心のムダをそぎ落とす』を出版
現在は大阪を中心に活動しており、大阪のローカル番組では大阪弁で話すことが多いようです。
秋野暢子と吃音について
幼い頃から人と話すことが苦手で、吃音に加え赤面症に悩んでいたと話す秋野。
小学生の頃は出欠確認のときの「はい」という言葉が言えなかったと過去を振り返ります。
吃音は多くの合併症が起こりやすく、機能性構音障害・早口言語症・場面緘黙症などがあり、社会不安障害に至っては成人吃音者の40~50%にのぼるとの研究データがあるほどです。
そんな秋野が女優へと続く始まりの扉を開いたのは小学5年生の時、学芸会『鉛筆の国』にてセリフのある「F」の役に選ばれたことです。
吃音がある秋野にとっては台詞のある役は外して欲しかったそうですが、断る勇気がなく仕方なく「F」を演じることに。
「Fざんす」という短い台詞でしたが、家で何万回と発声し、死ぬほど練習に明け暮れます。
迎えた当日。
秋野は吐き気と下痢、おまけに熱まで出る最悪なコンディションでしたが「今、行かなかったら人生変わらない」と自分に鞭を入れ学校に向かいます。
舞台では足が震え、止まらない。
しかし自分の番になると、何者かに背中をトンッと押されるように前に出ると「Fざんす」とスラリ。
秋野が言葉に詰まることを学校の友人は知っていたので、「Fざんす」の声が聞こえると、学芸会をそっちのけで会場が「わー」と盛り上がったといいます。
秋野自身も「体に稲妻が走った」と同時に「うちもできるんや!」と大きな自信に繋がったといいます。
それからも学芸会があると、担任の先生は台詞のある役を秋野に与え続けました。
普段の吃音が嘘かのように、舞台上では吃音が消えるのでした。
先生は「他者になって自己発露することが、人間形成のために最適なのだろう」と、演劇の道へ進むことを推薦したのでした。
編集後記(女性必見の書籍多数)
吃音の治療の中に環境調整法というものがあり、吃音がある子どもの周囲の理解や配慮によって、吃音の症状を回復を目指します。
つまり周囲の環境は、吃音者にとって大きな影響力があるということです。
秋野が通った小学校では、とても周囲に恵まれた環境だったのではないかと感じます。
秋野の吃音を気にかけてくれ、味方になってくれる先生がいたこと。
秋野が台詞を言えた時に、一緒に喜んでくれた仲間がいたこと。
1人でいれば吃音を気にしなくて済みますが、1人では自信を持つことなどできません。人生の大切な教えを、秋野は早いうちに獲得したのかもしれません。
新型コロナウィルスが渦巻く昨今、家で過ごす時間が増えたこともあり、ダイエットや筋トレなど身体づくりに精を出す人が増えてきました。
秋野は女優という職業柄、常に自分の身体をモニタリングして美貌を維持することも仕事の一環です。
そんな秋野が普段からやっているダイエットや体調管理などが公開されている著書がありますので、気になる方は是非。