世界最高峰のクラブチームであるレアル・マドリードでプレーし、2014年FIFAワールドカップでは6ゴールを決めてゴールデンブーツを獲得したハメス・ロドリゲス氏(以降 敬称略)。
テクニックと視野の広さに加え、ゲームメイクにも定評があります。誰も予想できないタイミングでシュートを放つ、攻撃型のミッドフィルダーです。
誰もが認めるサッカー選手としての成功を手にしましたが、両親の離婚や恩師の死など、その道のりは決して楽なものではありませんでした。
そんな険しい道のりの中で、ある出来事をキッカケに吃音を発症。サッカーに対してストイックに取組むことがよく知られていますが、吃音の克服についてもまたストイックなものでした。
そんなハメスの生き様は、吃音がある僕たちにとってとても参考になります。
無口で恥ずかしがり屋の少年が、世界のトッププレイヤーになるまで、一体どんな道のりを歩んできたのでしょう。
ハメスと吃音
2014年FIFAワールドカップ、既に3ゴールを決め決勝トーナメントを控えているハメスに記者は質問しました。「カルロス・バルデラマは自身の後継者に君を指名し“エル・ヌエポ・ピベ“と呼んでいるが、どう思っている?」
カルロス・バルデラマといえば金髪のアフロヘアーというルックスのサッカー選手で、1980~1990年代に活躍したコロンビアのスター選手です。南米では次世代を担う天才プレイヤーに”エル・ピベ(少年)”と愛称を付ける風習があります。
この記者からの質問に「他人はいいけど、自分ではなんとも言えないな」というコメントをすると共に、顔を赤くしたといいます。
彼は緊張したり、照れくさくなると、いつも顔が赤くなる。
吃音がある当事者の多くは合併症があると言われています。最も多い合併症では社会不安障害があげられ、オーストラリアの研究によると成人吃音者の40~50%にものぼると報告されています。
赤面症もまた非常に多い合併症です。
世界最高峰の舞台であるワールドカップで得点王となる男が、一人の記者の褒め言葉に顔を赤くするという一面を知ると、すごく身近に感じると共に、同じ赤い血が流れているのだなと感じます。
そんな人間味のあるハメスですが、吃音の発症には両親の離婚が大きく影響しています。
3歳のハメスは靴磨き用のブラシをミニカーがわりにして、キッチンで遊ぶのが日常。キッチンで遊ぶ理由は、隣の部屋からは両親の怒鳴り声が飛び交うためです。
まだ薄暗い明け方、母親に起こされて車に向かうと、ピカピカのサッカーボールを抱えた父親から「父さんみたいになるなよ」と告げられると、上手く言葉が出ずに「バ、バイバイ・・・、と、父さん」と返したそうです。
ボールを受け取ると、父親は車で走り去っていきました。
これを機に父親の姿を見ることはできず、同時に吃音が姿を現しました。
父親と離ればれになって以来、口を開くと必ずどもるようになりました。人とのコミュニケーションに苦労した彼は、だまっている方が楽だからと、次第に話すことが減っていきます。
それはサッカーのチームメイトに対しても変わらず、数年間誰一人として、ハメスの声を聞いたことがありませんでした。
まだ所属して間もない頃、ある日の練習試合でフリーキックのチャンスが巡ってくると、すばやくボールを拾い上げるハメス。いつもならチームメイトのディエゴがフリーキックを蹴るのが暗黙の了解となっている。
彼は「蹴らせて」という意思表示の代わりに土下座し、一切の言葉を発しなかったそうです。
ハメスはただのサッカー好きというわけではありません。勉強にもしっかり取組み、よく本を読んでいました。
寝る前の日課となっていたのは布団の中で本を音読すること。始めの頃はしょっちゅう言葉を詰まらせていたものの、毎日続けていくうちに徐々に上手くなっていったと母親は語ります。
はチームメイトから「将来はサッカー選手になりたいの?」と聞かれると、首を振って否定したそうで、ただ今のチームが勝てればいいのだと考えていたといいます。
一方で、サッカー選手になりたくないわけではく、ただの夢だったといいます。
母親と二人三脚で暮らしてきましたが、再婚し新しい父親を迎え、さらには妹もできました。チームでもエースストライカーとして活躍してくると、サッカー選手というものが夢から目標に変わり始めます。
チームメイトのディエゴから「サッカー選手になりたいの?」と再び聞かれた時、日頃の音読練習の成果を確かめる意味でもハメスは「プ、プロの選手になりたい」と初めて口を開いたそうです。
初めてハメスの声を聞いたディエゴは驚き、チームメイトに「ハメスがしゃべった!」と呼びかけました。
夜の音読はずっと続けていたが、再婚した新しい父親(フアンカ)の勧めによって、吃音のセラピーに通ったとされています。
セラピストから「声を出して本を読むことは、良いアイディアだ。」と褒められ、これまで以上に音読をするようになりました。
音読を日課にしていたこと、またフアンカの教えもあって、ハメスはよく勉強に励みました。
その後、順調なサッカーキャリアを積む傍らで、コロンビア国立大学の通信課程でエンジニアコースを専攻し、卒業証書を授与されています。
後の妻となる当時付き合っていたダニエラと電話をしているとフアンカは「あとで、ちゃんと勉強もするんだよな?」と言うと、ハメスは「もちろん」と答えます。「お前は俺の息子だ。勉強のできない息子だと、恥ずかしくて外を歩けない。」とフアンカは日ごろから勉強の大切さを教えていました。
ハメスはフアンカの影響からコンピュータ工学に興味を持ち、嫌なことがあるとその分野の本を読んでリフレッシュしたと語っています。
ハメスには持って生まれた才能がありました。しかし、才能以上に努力を惜しまない選手としても有名です。
ハメスのサッカーへの姿勢が、いかに周りと違うかが分かるエピソードをお話しします。
小さい頃からハメスは自分のユニホームを、自分でアイロンがけしていました。
ある日、クラブチームのコーチがハメスの家を訪ねると、ハメスがアイロンがけをしている姿を目撃します。
「何か悪さをして、罰を受けているのかい?」とハメスに聞くと、「これはずっと続けているトレーニングだ」と返したといいます。
母親はサッカーをすることへの『心構え』だと説明し、幼い頃からやらせていると話しました。トレーニングと同じくらい大事なことだとハメス自身も理解しているところが、またすごいところですよね。
ハメスの家族愛
幼い頃に実の父親がいなくなってしまう経験をしているためか、ハメスは家族をとても大事にしています。母親はもちろん、新しく迎えた父親のフアンカ、妹のことが大好きです。
サッカー選手という職業柄、家を離れて一人で住むことが多くなります。家を離れた時には、練習が終わってから家族に電話することが、彼にとってはとても大切な時間となりました。
ハメス自身も2011年に結婚し娘を授かりました。右腕には娘のSalomé(サロメ)の名前が刻まれています。
妻『ダニエラ・オスピナ』はコロンビアのバレーボール選手です。また実業家としても活躍しています。2017年に離婚が報道されましたが、お互いが納得した離婚であるとダニエラは自身のInstagramで明かしています。ハメスがドイツのクラブチームであるバイエルへの移籍が決まると、自国での仕事があるダニエラはついていくことが出来ず、離婚に至ったと話しています。
離婚後も頻繁に娘に会いにいく様子が、ハメス自身のInstagramで配信されています。右腕のタトゥーを彫った時の気持ちは、今でも変わっていないことが分かります。
ハメスの慈善活動
吃音がある人は気遣いができる人が多く、頼まれごとをすると断れないこともしばしば。さらには困った人がいると、つい身体が動いてしまうなんてこともよくあります。
吃音があるスター選手も、慈善活動に力を入れている方が多くいます。
ゴルフのトッププレイヤーであるタイガー・ウッズも、吃音があり、慈善活動に熱心な一人です。2006年には30億円もの大金を投じ、学習センターを設立しています。
ハメスもチャリティ財団を設立し、自国の恵まれていない子ども達への寄付を目的とした『10-Gold』というブランドを立ち上げています。
『10-Gold』という名称の由来は、自身の背番号「10」をモチーフにしており、天然水やエナジードリンクを販売しています。
編者後記(ハメスの原点)
ハメスの原点とも言えるのは、幼い頃から見ていたアニメ『キャプテン翼』です。コロンビアでもファンが多く、毎日、テレビ放送されていました。
主人公の大空翼は新しい町に引っ越してきて、地元のサッカーチームに入る。翼の活躍によってチームを優勝に導いていくというストーリーです。
境遇が似ているところもあり、当時のハメスにとっては最高の楽しみであったと語っています。
意外なところで日本との共通点を見つけることができたハメス。サッカーでの実績は、多くのメディアで日々取り上げられていますが、ここではプライベートな部分を中心にご紹介していきました。
サッカーの才能があった以上に、努力の人だということが分かったのではないでしょうか?
どの分野においても、常に結果を出し続ける人を見ると「あの人は才能があるから」と、上辺だけで判断してしまい、自分の逃げ道を作ってしまいがちです。
でも、結果を出し続ける人は、決して才能だけで勝負しているのではなく、絶え間ない努力の賜物であることがハメスを通じて学ぶことができました。
ビリギャルの著者である坪田氏は言います。「才能がない人なんていない。どんな人には才能はある。」
自分の可能性を信じ、努力した人にだけ成功はあるのだと思います。