『吃音のおかげ』と思えることって、すごく素敵なことじゃないですか?
この漫画で最も印象に残っているのは『吃音のおかげ』というテーマで描かれているストーリーです。
普通、吃音って”悪”として捉えることの方が圧倒的に多く、”病気”とか”障害”とかハンディギャップという言葉に置き換えられます。
- 自分の名前が言えない。
- 言いたいことを、そのまま伝えられない。
- 1%の割合という、圧倒的少数派。
たしかに、負目に感じる症状ですよね。
でも、漫画『どどどもる私。』では、違ったものの見方をしていて、それが凄く素敵だと感じました。
- 吃音のおかげ
- 吃音があったから
- これも芸である
- 吃音も個性
- ネタにできる
など普通の吃音者なら使わないであろう言葉が、多くのストーリーで用いられており、こんな考え方やものの見方ができたら、世界は180°違って見えるだろうな。
七転び八起き
僕が最も大事にしていることとして『同じことを繰り返さない』というものがあります。
例えば、仕事で失敗してしまい先輩からアドバイスを受けた場合など、二度も同じ間違いをしたら先輩に失礼だと思います。
だから一度教えてもらったら、確実に自分の糧にすることを信条としています。
これは、僕にとって出来ることの話しです。
でも、どもらずに流暢に話すことは、気を付けていても出来ないことです。
だから僕は七回転ぶけど、八回起き上がればいいんだと思える様になりました。
吃音があると、どもるたびに落ち込み、どもった事を引きずります。
本当によく分かります。
昔は僕もそうでした。
僕は今でも吃りますけど、吃音を悩みとして捉えていません。
僕の中では吃音を克服したと考えています。
だからどもっても落ち込まないし、どもることへの恐怖や羞恥心はありません。
きっと、本書を書いた安藤さんも、僕と同じ境地にいるのではないかと思います。
吃音の克服って何?
アメリカの吃音研究の第一人者であるウェンデル・ジョンソンは、「吃音の悩みの大きさは”箱”の体積で考えられる」と言及しています。
- 発声頻度
- 自分の感情
- 周りの反応
これを“掛け算“したものが、吃音の悩みとして表すことができると。
多くの人は、
『吃音の克服 = どもらない』
だと思っています。
でも僕はそう思いません。
自分の吃音への感情がゼロ。
つまり受け入れることで、箱の体積をゼロにすることができる。
実際に僕は、吃りますけど、吃音を悩みとは思っていない理由です。
この境地に、安藤さんもいるはずだし、だから『吃音のおかげ』という言葉を使うのだと思います。
そんな安藤さんの作品『どどどもる私。』には、一読の価値があると思います。