芥川賞を受賞した諏訪哲史さんの小説『アサッテの人』を読んで一言。

 

理解不能

 

きっと僕に、想像力や”アサッテ”を生み出す力がないということなのだろう。
主人公の諏訪哲史さんの叔父は、どんな世界を観ていたのか、あなたはそれに共感できるのか?
その答えを是非とも聴かせて下さい。

 

吃音を克服したい願望

吃音者なら誰もが切に願うこと。
それはある日突然、「吃音が無くなってくれたらいいのに」というものです。

もし、そんな日が訪れたのなら、きっと世界は180度変わって見えるでしょうね。

自己紹介にビクビクしなくていいし、
電話だって誰よりも先に受けたって構わない。
諦めていた夢を叶えられるかもしない。
気軽に女の子に話しかけられるかもしれない。
もしかしたら、付き合えるかもしない。

そんな思い膨らむ素晴らしいイメージを連想していると思いますが、実は真逆の事が起きるかもしれません

小説『アサッテの人』は、作者である諏訪哲史さんの叔父について書かれています。
その叔父は20歳のとある日に、吃音がパタっと無くなる経験をしています。
これまで世界の外側で生活したいたのに、吃音が無くなることで内側へと住む場所が変わってしまいます。
叔父は世界の外側へ抜け出すためにアサッテの方向へと歩き出します。

人はどんなに嫌な事、物、人でも、有る(居る)のが当たり前になってしまうと、手放せないものです。
僕の両親は凄く仲が悪く、口を開けばケンカばかり、愛情だってないと言います。
幾度となく離婚という話しが持ち上がりつつも、結局は離婚をすることなく終熄します。

僕にとっては有難い話しですが、結局は離婚したことによる生活の変化が怖いのだと思います。思っています。

諏訪哲史さんの叔父の場合、吃音は悩みではなく、自分そのものだったのでしょう
吃音が無くなった叔父は、吃音的な何かを探す奇行に走ることになります。

もし僕にも、ある日突然吃音が無くなるという大事件が起きたら、一体、どんな未来が待っているのか。
ハッピーエンドへと向かうのか、アサッテの方向へ向かうのか、凄く興味があるところです。

アサッテとは

“アサッテ”とは何か?

これが今一つ、理解出来ていません。
そもそも定義などないのかもしれません。
“アサッテ”は人によって異なる奇行思考だからです。

諏訪哲史さんの叔父の場合には『吃音的な何か』と表現しており、主に「ポンパ」や「タポンチュー」、「チリパッハ」などの言葉によってアサッテが訪れます。

とある人のアサッテは、誰もいないエレベータの中で奇行によって訪れます。

普通なら絶対しない・考えないところに、アサッテへの入り口はあるようで、入り口をくぐるとそこには大切な何かがあるのでしょう。
それは現実世界に引き戻された”アサッテの人”達が、再びアサッテに向かって歩みだすことから僕はそんな事を感じました。

チューリップ男

この小説は文体が難しく、始めの数ページで「読むのを諦めようかな」と思うほどでした。

きっと文学を専攻していた人や、本物の小説好きには「上手な文章」であろうことは、なんとなく分かるのですが、とにかく難解なんです。
馴染みのない言葉使いをしているため、きっと僕は当小説の30%くらいしか理解出来ていないと思います。

そんな小説『アサッテの人』ですが、「小説でこんなに笑ったことってあったかな?」と思うほど、面白い話しも書かれています。

その登場人物の名は”チューリップ男”です。

エレベータの監視をする仕事をしていた叔父の前に、突如現れたチューリップ男は、ありとあらゆる奇行を繰り返します。
なぜチューリップ男と名が付いたのか、それはご心身の目でご確認頂ければと思います。

僕は通勤で小説を読んでいるのですが、笑いを堪えることが出来ず、本を顔に覆って誤魔化しました。
これもある種のアサッテなのかな?

総括

きっと賛否両論ある小説だと思います。
吃音がサブテーマとなっているため、読んでみたものの、僕にはちょっと難しかったというのが本音です。

読む小説というより、感じる小説といった感じです。

個人的には、当小説のみどころは2つあると考えています。
一つ目は叔父の吃音に関する考察。
二つ目はチューリップ男。

チューリップ男は言わずもがな、上記の項目で伝えた通り、笑える内容となっており、僕が1番好きなストーリーです。
これは是非とも見てもらいたい。

また叔父の吃音に関する考察が、非常に興味深いです。

あなたは吃音のメカニズムを考えたことはありませんか?
どうして言葉が出てこないのか?
どうして言葉が喉で詰まってしまうのか?

これまで多くの研究者が研究を重ねても、結局、原因の解明はされておらず、迷宮入りしている吃音ですが、個人個人の考察はあると思います。

吃音ドクターで有名な菊池先生は、幼児に説明する歳には「言いたい言葉がいっぱいあるから、言葉詰まってしまう」や「頭の回転が早いから口がついてこない」などと説明していると自信の書籍で語っています。

一歩がなかなか出せない病気『パーキンソン病』の様に脳の病気だという人もいれば、吃音は精神的な病気だという人もいます。

稀に『天才病』などとも言われます。

僕の見解は『体質』であり、とある事をキッカケに言葉に障害が出る資質を持っていたと解釈しています。

あなたは吃音について、どんな考えを持っていますか?

小説『アサッテの人』の主人公である作者の叔父は、これまた、もの凄い見解を持っています。

医学的に原因が解明されていないだけに、どんな見解にも可能性を秘めていると個人的には考えています。
もしかすると、叔父の見解が的を得ている可能性も無きにもしあらずです。

吃音について書かれた作品であり、芥川賞をも受賞した作品『アサッテの人』は、一読の価値があります。