吃音がある子供の親には2つの悩みがあります。
- 周りの友達に“どう扱われる“のか?
- 自身は“どう思っている“のか?
幼稚園や小学校、中学校、習い事について回ることはできませんし、本人が吃音についてどう思っているかは、なかなか聞くことはできません。
日本では昔から吃音の話題はタブーとされ、それが身内でも同じでした。
きっとあなたの家庭でも、あまり吃音の話題は話されていないことでしょう。
僕の家庭でも祖母に父、僕と吃音者が5人中3人と過半数を占めているにも関わらず、吃音についての話題は、滅多にありませんでした。
今より偏見が酷い時代に、祖母がどんな扱いを受けたのか知りませんし、父がどんな事を考えていたのかも知りません。
確かに笑って話す内容ではないのだから、好き好んで話す人はいないでしょう。
それでなくとも、僕らは話すことに多くの時間が必要で、多くのエネルギーを使うのだから。
それでも親としては、
- 子供がイジメられていないか?
- 笑われていないか?
- 酷く悩んでいないか?
などと考えてしまうのは普通のことです。
吃音の苦悩は吃音者にしか分からない
“吃音は吃音者にしか苦悩が分からない“とよく言われますが、その通りだと思います。
言いたい言葉がそこにあるのに、その言葉が出てこない。
非吃音者からすれば理解できないことでしょう。
僕ら吃音者にだって、上手く説明すらできないのが難儀なところです。
また吃音に対する周りの環境は、その場所場所で違いますし、吃音に対する自身の感情も、その人その人によって違います。
酷くどもっているけど、なんら気にしていない様子のおしゃべり君がいたり。
側から見ると吃音者なんて分からないけれど、酷く悩む人もいます。
吃音がない親にとっては、まさにお手上げなのが吃音だということです。
言葉の専門家である言語聴覚士でさえ、最も苦手とする分野が吃音だと言われています。
それもそのはず、確立した医療方法もなければ、原因すら未解明なのですから。
小説『きよしこ』とは!?
そこでご紹介したいのが小説『きよしこ』です。
あくまで小説であり、ノンフィクションなのですが、吃音がある『重松清』さんの少年時代がかなり反映された作品となっています。
小説の主人公『きよし』は、転勤族の家庭に生まれ、小学校生活6年間で5回の引越しを繰り返します。
行く先々で周りの環境はガラリと変わり、それに対するきよしの行動と感情は、リアルそのものです。
吃音を散々おもしろがって、ちょっかいをだされてしまう幼少期では、吃音者にとって本当に辛い時期です。
きよしも二人の男の子の標的となり、数では勝てない、もちろん口でも勝てない。
だから手が出てしまうというジレンマを抱えながら成長していきます。
小学校ではどもる言葉が前もって分かる“予期不安“の症状が現れます。
そのため上手く言葉を置き換えて話す様になり、周りからの反応は少なくなってきます。
吃音をある程度”隠す”ことができることで、積極的に友達と付き合うようになります。
きよしが、小学校の卒業式で皆を牽引しているところに心を打たれます。
中学校では責任感の強い学生へと成長しており、引っ越してきた野球部のチームメイトに寄り添う姿が描かれています。
そのチームメイトに、自分のレギュラーの座を奪われてしまい怒るきよしに、人間臭さを感じます。
高校から大学へ移る時の”決断”は、吃音者にある“内なるエネルギー“を代弁してくれているように思います。
小説『きよしこ』にはこれらのエピソードが描かれており、僕にも似た出来事や感情があったのとを思い出します。
これは吃音がある子供の“通るべき道“が描かれたストーリーなのです。
ハッピーエンドで終わるわけではないし、ヒーローが出てくるフンタジー的な物語ではないけれど吃音者の“弱い分野“と“強い部分“が上手く表現された内容となっています。
小説『きよしこ』をオススメする理由
なぜ小説『きよしこ』をおすすめするかというと、下記の3つの事が得られるからです。
- 吃音がある子供の感情を理解できる
- 吃音がある子供を過度に心配しない
- より一層、我が子を好きになれる
主人公のきよしは引越しすることが多く、色々な環境の中で育って行きます。
吃音をバカにする友達が多い中で暮らすこともあったり、吃音に興味を寄せる友達がいたり、お節介好きの女の子がいたり、吃音があっても好きでいてくれる女の子がいたり。
そんな場面場面で、本当に上手く感情を表現していて「うん、分かる分かる」と思いながら読んでいました。
吃音があると、どうしても内気になりがちで、言葉数も減ってしまいます。
でもその分、人より思考を巡らせることが多く『自分』というものの芯は持っているのが吃音者です。
親からみれば心配で心配で過保護になってしまいがちだけど、どんなことにも負けない芯の強さが吃音者には、あなたの子供にはあるということが分かります。
最後の章できよしは「東京に行きたい」と発言している姿と、「オレ、営業マンになりたい」と発言したかつての自分にあったチャレンジ精神を思い出しました。
僕も、また何か目指せるものを探してみようかと思う今日この頃です。
吃音のある自分を、吃音のある子供を、もっともっと好きなる。
『きよしこ』は、そんな小説です。
是非とも一読下さい。