風邪やインフルエンザの時に処方される”抗生剤”。
日本では医者から「念のために・・・」と言われ、簡単に服用しています。
“抗生物質”と聞くと、なんだか凄く効きそうな感じがして、ありがたくも思います。
これ、日本の常識でも海外の非常識なんです。
アメリカでは抗生剤などの使用には厳しい制限が設けられ、ほとんどの病院では抗生物質の使用に関するガイドラインが設定されています。
抗生物質の使い過ぎにより、菌やウィルスが抗生物質に慣れることで、本当に必要な時に効果が得られないというMRSA感染を予防するためです。
「日本の常識は海外の非常識」は吃音についても言えることです。
原因不明、
治療法が確立されていない。
治療をしてくれる病院もなければ、
研究をしている施設も数少ない。
これが日本の常識です。
書籍「吃音の基礎と臨床―統合的アプローチ」では、そんな日本の常識をぶち壊し、世界で研究された成果を知ることができます。
- 臨床データは驚くほど膨大に存在する
- 吃音の原因は右脳優位性にあった
- セラピーによる効果が認められている
- 幼児から成人まで全て人に役立つ
解明されない奇病
物心がつく頃には、既に吃音がありました。
小学生の頃は、4年生で引っ越しの経験をして自己紹介の時に酷く吃ったことを覚えています。
中学生の頃は、野球のクラブチームの交流会で、名前を聞かれて答えることができず、相手の不満そうな顔が忘れられません。
高校生の頃は、最も吃音が重症化し、からかいの的だったこともありました。
大学生になっても、社会人になっても、吃音に関する嫌な思い出は増える一方。
傷つく度に、なんとかしてこの奇病を治したいと、吃音について調べてみるものの、いつも答えを得ることは出来ませんでした。
25歳の頃、結婚したいと思える女性ができ、プロポーズをしました。
彼女は涙を流して喜んでくれましたが、僕の頭の中にあったのは、結婚式のスピーチでした。
なんなら、プロポーズをしようと思った時からスピーチへの胸の締めつけは始まっていたのです。
大勢の前で、彼女の両親がいる前で、どもり倒したらどうしよう。
スピーチの無い式場ってあるのかな?
なんて、考えてしまう自分にも腹が立ちます。
なんとかして、この奇病を治してやる。
そう意気込んで、吃音についての探究が始まりました。
まずはインターネットの情報から始まり、あらゆる書籍を読込み、有料商材にまで手を伸ばしました。
結婚式 当日。
どもり倒してやりました。
日本の常識は海外の非常識
僕の失敗の理由は、ただ一つです。
日本生まれの情報にしか触れてこなかったことです。
- 日本人が書いたインターネット情報
- 日本人が書いた書籍
- 日本人が販売している有料商材
“日本”で生まれた根拠から
“日本人”が配信している情報
ばかりに触れてきたから、吃音の症状に変化がなかったのです。
確かに戦後の日本では、吃音の臨床や治療の先進国でだったと言われており、数多くの吃音矯正施設が存在しました。
しかし、その後の研究が足踏みし「昔の常識は今の非常識」となり、気が付いた時には「日本の常識は海外の非常識」となっていたのです。
プロポーズを決めた時から、実に6年。
マイペースながらも吃音の探究を続け、ようやくこの結論に辿り着きました。
日本のメディアでは、吃音の原因や治療の確立ができていないと伝え、その研究データもあまりないとされています。
しかし、ここでご紹介している「吃音の基礎と臨床―統合的アプローチ」を読んでみると、海外での研究や臨床は盛んに行われていることが分かりました。
原因や治療の確立とまではいかないものの、断片的に確かな進歩を遂げているのです。
アメリカの吃音セラピーによる回復率は驚異の数字です。
そもそも治療が受けられる病院や施設があまりない日本ですから、臨床データも海外から比べると雲泥の差が生まれてしまうのです。
世界の常識とは
10年前の常識だったガラケーと
今の常識となったスマホ。
もはや、ガラケーに戻すという選択肢はありませんよね?
10年前から時が止まってしまったガラケーと、時の流れと同じように進化を続けてきたスマホでは蓄積データも違えばスペックも大きく異なります。
今、あなたの前にはガラケーとスマホが置かれています。
初めてiPhoneを手にした時、僕は正直、半信半疑だったことを覚えています。
ちょっとした“勇気“みたいなモノがいりました。
ちょっとした勇気を出してみたおかげで、僕の生活水準は一気に加速しました。
まるで歩く歩道を一歩足を踏み入れた感覚です。
これまであなたは、吃音について少なからず調べてきたと思います。
そこで得た知識を遥かに凌駕する”情報の量”と”情報の質”が当書籍には書かれています。
僕は当書籍を読むのに、大変な時間を要しました。
それでも、これから先何年も、永遠に続くかもしれない吃音との生活に比べると屁でもありません。
是非ともお手にとって読んでもらいたい。
吃音に関わる全ての人にとって必要な“常識“だと思います。
自分が自分の臨床家
「吃音の基礎と臨床―統合的アプローチ」を読んでもっとも勉強になったことは、明らかになってきた吃音の原因ではなく、世界のセラピーに関する方法でもありません。
当書籍の一節にある“自分が自分の臨床家になる“という言葉です。
あなたは難発(ブロック)が起きている時、何を考え、何を思っていますか?
「やばいっ!言葉でない!!」とか。
「でろっ でろっ」とか。
「うわ、変な顔でみてるよ」とか。
もしかしたら頭が真っ白になって、何も考えられないという人もいるのでしょう。
また多くの方が、言い換えの言葉を探しているに違いありません。
しかし自分が自分の臨床家であるなら、どもっている時の自分を観察しなければいけません。
- 苦しい顔をしているか?
- 随伴運動があるか?
- まばたきをしているか?
- 予期不安はあったか?
- 周りの反応は今どうか?
- 言い換えの言葉を探しているか?
時には随意吃と言われる、わざと吃ることをしながら自分の吃音についての観察をすることも必要だと言われています。
何故、自分自身を実験台にして自分自身の臨床家にならないといけないのか?
それは“吃音を得体の知れない奇病“として捉えるのではなく、“コントロールできる非流暢発話“にするためです。
得体の知れないものだから恐怖し
得体の知れないものだからコントロールできない
自分の身体が吃音に対してどんな反応をするのか、それを明らかにすれば、吃音もコントロールすることができるのです。
吃音に関する新しい常識。
インターネットでは決して見つけることはできません。
是非ともご覧下さい。